カミングアウト

松浦さん自身が「ゲイ」であることを自覚したのは中学1年生の時だったという。学校の帰り道、男子のグループで帰っていたときのこと。
「慶太は好きな女子は誰なん?」と聞かれた。

松浦さんの頭にぼんやりと浮かんだのは男子のことだった。
「これは人に言っちゃいけない、とんでもないことだ…」

同性が好きなこと、それは社会的に話してはいけないこと、治さないといけないことなのだと一瞬で悟り、心を閉じて抑え込んだ。その後、吃音の症状が出るようになった。

転機は大学生のとき。偶然出会ったLGBTQ当事者の友達をきっかけに、人と積極的に関わるようになった。大学ではLGBTQサークルの代表も務めて活動した。

これまで伝えられていなかった両親にもカミングアウトした。
「東京は進んどるなあ」ー父親はそう言って意外にもすんなり受け入れてくれたようだった。でも、母親は違った。

なんやこれ!こんな気持ち悪いの送ってきて

30歳のとき、松浦さんは当時付き合っていたパートナーを連れて三重県に帰省した。母はパートナーに対してとても冷たい態度だった。

後日、そのパートナーが松浦さんの母親にクリスマスプレゼントを送ってくれた。母親は松浦さんに電話をかけてきてこう言った。

「なんやこれ!こんな気持ち悪いの送ってきて」
「女の人と結婚して孫を産んで欲しかった。あんたが私の夢を壊した」

以来、母親とは音信不通になった。