「石丸現象」がメディアに突きつけた刃

今回取材していて感じたのは、テレビを観ている層と観ていない層との間にある分断だ。
石丸氏の演説会場などに来ていた人の多くが家にテレビが無かったり、あったとしてもほとんど見ていないと話す。放送局に勤めるものとしては改めて痛感させられた衝撃である。ついに大型選挙でネットから生まれた人物が支持を集め主要候補に躍り出るまでになったのだ。
しかし、石丸氏がどんどん浸透し、ここまで支持を拡大する存在となっていることに敏感に反応できていただろうか。石丸氏も我々テレビメディアを指して、序盤はほとんど取材に来ず、注目もしていなかったと厳しく指摘している。テレビは選挙期間中に入ると量的、質的公平性を担保しながら選挙報道にあたっている。
ただ、その公平性、平等性が時として壁となり(言い訳にして…)有権者や視聴者へ投票行動に資する有益な情報を提供できているかというと自戒を込めて十分にできているとは言えない。投票前の本当に選挙や候補者の情報が知りたい時期にニュースとしてあまり報道できず、選挙が終わり結果が出てからたくさん報道するというやり方を続けてきている。報道人としてはそこにジレンマを抱え続けているのだが変えられてもこなかった。
一方、いまやテレビや新聞を観ず、スマホでYoutubeやSNSを中心に情報を摂取している人々が増え、そうした人々は知りたい情報、候補者のことをどんどん深堀りしていく。ネットのアルゴリズムにより石丸氏を好めばその情報に次々と触れていくことになる。そこにはテレビを観ている層、作っている側と観ていない層との間に確実に分断ができつつある。それを顕在化させたのが「石丸現象」だと考えている。私たちマスメディア、テレビメディアの外側で起きている社会変化をしっかりと捉えいかに伝えていくのか。知りたいと思う情報が無く、伝えるべきメッセージも無いメディアはやがて世の中から退場させられてしまうことになるだろう。選挙報道、そして日々の報道内容、手法、姿勢をアップデートさせていかなければならない。いますぐにその答えは見つけられてはいないのだが…
今回ほとんど政治や選挙に関心が無かった層が石丸氏に期待感を抱き、政治不信が高まる中、社会参画した、させた点は素直に凄いことだと思う。そして、165万人の都民が名前を書いた事実は重い。ふわっとした民意をつかんだ勢いは本物だろう。一方でこれまで改革や変革を訴えた幾多の政治家がその期待を失望へと変えてもきた。それだけに夢や希望でパンパンに膨らんだ石丸風船を今後どう導くのか。石丸氏本人が負った責任はとても大きい。そしてメディアは彼が東京を、日本の政治を変える力を持った「本物」なのかどうか?その真贋を見極め伝えていく責務がある。
大八木友之(MBS東京報道部長兼解説委員)














