そして、どこへ向かうのか
自動音声の女性の声と社会のジェンダー規範は強く結びついているにも関わらず、その他のジェンダー格差や固定的役割のように問題視されない。それはなぜだろうか。そして、この先どこへ向かっていくのであろうか。
自動音声が女性の声であることが意識されない理由は、あまりにも多くの声が発せられているという面もあるが、先述のように「お世話」を女性が行うことを無意識のうちに内包してしまっているからである。その内包が男女に関わらず社会全般で行われている点から考えると、日本的な家族観や家庭内でのジェンダー役割に起因していると考えられる。
つまり、子どもに対する「母親的なお世話の声」として、われわれは自動音声の声を聴いているのだ。例えば、「エスカレーターは歩いちゃダメよ」「ドアから離れてのりなさい」「切符はとった?」「どの支払い方法にするの?」など、日常でも聞こるような子どものお世話声と同じなのだ。もちろん、女性の親だけとは限らないが、日本人が共通してイメージする「母親象」と一致すると考えられる。日本社会は母親的なお世話の声に包まれていることで、安心感を感じていると言えるのだ。
あるいは、ジェンダー・フリーが拡がっているなかで、声だけは男女の区別が求められているとも言える。「WEIRD」ウェブサイトに2019年5月28日掲載された「ジェンダーレスなデジタル音声『Q』は、社会を変える可能性を秘めている」によれば、AIアシストで使われている声とジェンダーのステレオタイプに対して、テクノロジーによって作り出した性別中間的な声で変革を行おうとしている(4)。
ジェンダーレスなデジタル音声「Q」は、社会を変える可能性を秘めている。われわれが男女の声を聴き分けているのは、周波数の違いである。一般的な女性の基本周波数は225ヘルツ程度、男性の場合は120ヘルツ程度と言われている。つまり、この中間の周波数を持つ声を作れば性別の区別がない声ができることになる。
記事によれば145ヘルツから175ヘルツの間が、性別をわけるポイントのようだ。最新のテクノロジーを使えば簡単に作れるように思われるが、実際にはそれほど単純な問題ではないようだ。人間の脳は周波数の違いを認識し、無意識に修正を加えてしまうのだ。
例えば、自分の声を録音して周波数を変更できるアプリを使って、中間的な声を作ったとする。できあがった声は、実に奇妙な声に聞こえるはずだ。性別の差というよりも、人間の声としての違和感が先に立つ。
「Q」プロジェクトは、「自らを男性、女性、トランスジェンダー、ノンバイナリーと識別している20人以上の声を録音する」ところから始まった。その声のデータを元にして最終的に4種類の声が作られ、そのなかでもっともジェンダー・ニュートラル(中性的)に聞こえる声が「Q」となった。実際に「Q」の声を学生に聴かせると、性別の認識がほぼ半々になった。つまり、どちらにも聞こえるし、どちらにも聞こえないのだ。
このようなジェンダー・ニュートラルな声は、手間と技術を使えば作ることは可能だ。だが、問題はそこにはない。もっとも重要な課題は、われわれが自動音声の声を無意識にジェンダー化してしまっており、社会のなかで自明視されている点にある。
社会に存在する自動音声を先の「Q」に置き換えたとしよう。果たして、われわれはそれを自然に受け止めるだろうか?筆者は懐疑的に感じている。なぜなら、繰り返すが自動音声と社会におけるジェンダー役割が一致しているからであり、「声」という身体性を伴わない情報はジェンダー規範との重なりが「見えない」からである。
つまり、われわれは自動音声の声に母親的なお手伝い、女性職業としての案内や補助的な役割を内包し、他の背景音と同じレベルで認知しているのである。したがって、「Q」や男性声に変わった瞬間に自動音声は、日常に隠されたジェンダー関係が表面化し、にわかに混乱を招くことになるのだ。言い換えれば、長い年月で培われた声のジェンダー・バランスは、強くわれわれ自身のなかにすり込まれ、容易には入れ替われないのである。
今後ますますAIアシストが社会に広まって行くに従って、ジェンダー化された声も拡がっていく。その声に内包されたジェンダー問題に対して、われわれがどのように向き合って行くのかが、今問われ始めている。
注記
(1)NHK放送文化研究所「国民生活時間調査2020年」
(2)※江口潔「戦前期の百貨店における技能観の変容過程 ──三越における女子販売員の対人技能に着目して──」『教育社会学研究第92集』2013
(3)※オリジナルの報告書は現在リンクが切れているが、「Explore the Gendering of AI Voice Assistants」でUNESCOサイトを検索すると概要を観ることができる。また、渡辺珠子「AI技術におけるジェンダー平等」『日本総研』2020でも言及されている。
(4)※2019.05.28 「WEIRD」「ジェンダーレスなデジタル音声『Q』は、社会を変える可能性を秘めている」
<執筆者略歴>
坂田 謙司(さかた・けんじ)
立命館大学産業社会学部 現代社会学科教授。研究テーマはメディア社会史、音声メディア論など。
1959年東京生まれ。中京大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。
著書に「『音』と『声』の社会史:見えない音と社会のつながりを観る」(法律文化社・2024)、「『声』の有線メディア史:共同聴取から有線放送電話を巡る<メディアの生涯>」(世界思想社・2005)など。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。














