第3者機関 まず民間に監査依頼し段階的に強い権限もつ機関へ移行を

ー政策活動費の支出をチェックする第3者機関の設置について。誰が監督を行い、どこまでの権限を持たせ、いつ設置するのが適当か。あるいは機関について検討する際、どういった枠組みで検討すべきか

第3者機関については間違いなくほとんどの自民党議員が必要だと認識していました。特に政策活動費なんか典型で、これまで「公開できない部分があるんだ」という主張をしていたわけですね。
だけど、これではさすがに持たないわけです。規正法の理念は全部公開をすることで、国民に批判、判断してもらうことが理念ですので、「出せない」ではやっぱり持たないわけですよね。

どうしても出せないというなら、しかるべき人が第3者の立場としてチェックをいただいて、これだったら問題ないでしょうということを世の中に公表していただく。こういったものが第3者機関ですよね。だから必要だという認識に立っています。

その上で、じゃあどうやるのかと。法改正で制度全体が令和8年(2026年)から始まるわけですから、与野党の協議の中で、第3者機関も少なくともそこで一定の結果を得ないといけないのだと私は思っています。
ところがその令和8年というと、もうあと1年半ぐらいということになります。

ここで問題提起をしたいんですけれども、ご指摘いただいたような設置形態ですよね。
第3者機関というのは、前提として非常に民主主義のあり方に関わる問題。なぜかというとわれわれは立法府ですよね。立法府がどこにチェックされるのかということについて、1番ベストなのは不正を絶対許さないという観点に立つと、強制的な権限、つまり調査、それから勧告ですよね。強制的に勧告、あるいは是正勧告。あるいは検察に通報する機能とか、世の中に不正があったら公表するとか、非常に強い権限とともに、集める情報を全部保全する仕組み、これがほぼ100%の第3者機関としての機能。もちろん監査もやりますけどね。

そういったものが1つ考えられるけど、そういった強い権限は行政機関にあるんですよ。例えば公正取引委員会は非常に強い権限を持った独立機関です。
ただそれはあくまで政党が、国家の1機関に常にチェックされている。
民主主義の形としては私がどうのこうのとか、自民党がどうのこうのではなくて、国としての政党のあり方という意味では、政治というのは民衆なんですよね。
すると民衆のやっていることをチェックする方向になりますから、結果的にチェック機関としては権威主義国家の方向になるんです。

必ずしもそれは悪いことではないです。有識者である東大の谷口先生も行政機関に置いたらいいという考え方です。
ここまでいくと、組織の設置、権限、構成、人数、どういった方にお願いするのか、トップはどうやって指名するのか、これはかなり大きな制度になるので、1年半で果たしてできるのかというとかなり難しいんだと思うんですね。
ただ、これは私は1つの有力な案だと思います。

一方でドイツの例では立法府の問題なんだから、立法府がちゃんと調べた方がいいと。立法府に置くというのも1つの案です。野党さんも主張されているところもあります。
例えば国会図書館というとなんだそれ、と思うかもしれませんが、ああいう設置形態は完全に独立しているわけですね。
各政党に偏っていない。ただこれは権限があまり強くなれないんですよね。

そうしますと、もう1つは民間の第3者を国が指定して、そこで監査をお願いすると。これは有識者の中北先生がご主張になられましたけど。

そういった大きく言うと3つの形があると思いますが、令和8年の1月1日から制度がスタートするので、まず3番目に申し上げた民間からスタートして、とにかく行き着くところはある程度の権限を持った独立機関でチェックする、ここを目指していく、確実にやっていくというところは必要なんだと思います。

ーまず民間にお願いして、そこから段階的に移行していく

そうですね。いま政党は自主監査になっているんですよ。
自主的に第3者であるところの監査法人であるとか、税理士の先生とか、今も適正に処理されているものだと思っていますけれど、もう少し国民の皆様からご理解いただけるようなやり方、制度として担保するというのはあり得るんだと思います。

ただ、そこはゴールではなくて。やはり私は国民の皆さんにしっかりと説明ができるということが必要だと思いますし、私個人としても、仮に制度がなかったとしても、新聞の1面に「あなたがやっている事はけしからん」と書かれたとき説明できる、というのを1つの原理・原則にしているのですよ。それが信頼の第一歩、前提だと思います。説明を果たせることが重要で、できないならば制度で担保していくのは、ありうる選択だと思っています。

ー第3者機関に持たせる権限の強さについて。単に領収書と収支報告書などの数字を照らし合わせて、収支が合っているかだけを見るのではなく、支出が適正なのかどうかまでチェックする権限を持たせるべきか

ある程度の権限を持たせるべきなんですけれども、『有権解釈権』といいますけれど、適正なのか、正しく使われているのか解釈できる組織にいたしますと、結局強制的に調査できて、是正勧告もできてというところで、ほとんど検察なんですよね。
そうすると毎日検察にチェックをされている政治というのは、果たしてこの民主主義の中で正しい機能なのかということをやっぱり国民の皆さん全員で考えていただいて、それでも政治は悪いことしそうなんだということであればそういう方向になると思いますけども。
さすがに常に中国やロシアのような権威主義国家のように、行政機関の、仮に独立機関だとしても、常に民衆をチェックしている組織があるのは適正なのかどうかというのは私は今の時点で判断はできていません。
したがって深い議論が要るんだと言ったのはそういった部分で、そこは1日2日、1週間の議論の中でやれとかやるなとかいう話では決してない。これは非常に私は重要な部分だと認識しています。

ー30年前に平成の政治改革大綱ができたときは、竹下総理の元に諮問機関の有識者会議ができて大綱を詰めた。今回そのような組織はなかったが、有識者会議のような、広く国民を巻き込む形で政治改革の中身について議論する場の必要性についてはどう思うか

国民の皆さん、例えば有識者に入っていただくのは非常に意義があって、われわれが気づかなかった視点を提供いただいて、なるほどと思わせていただける議論ができます。

直接有権者に接して、なるほどと思うことは非常に多いです。ですから実際のわれわれの活動というのは非常に重要だと思うんですけど、果たしてこの政局的になるような議論、すなわちテレビカメラが入って議論したときに、相当制約を課されます。

それは何かというと、平たく言うと、かっこつけたがる人がいるんですよね。
いろんな自分の支援者に、私も幅広くいろんな支援者がいますけれども、どうしても偏りたくない、というのがある。
信念があってこうだと言いたい部分はあるとしても、どうしても偏らずに皆に納得いただくような議論を進めてしまう。

例えばですね、第3者機関は絶対作るべきだ、とにかく政治が悪いんだから全部チェックさせろというのはわかりやすい議論だと思うんですけど、本当にそれが果たして正しい方向なのかというのは、ある種落ち着いた議論からスタートしないと成り立たないと思います。もちろん最終的には国民の皆さん全員でご議論いただくだけの深い議論であると思います。