総理決断に大変な驚き ビジョンの共有なく“政局化は必然”

ー実務者として自民党内の調整、交渉相手である与党の公明党・野党との間で板挟みになった部分も多かったと思う。
具体的にはパーティー券購入者の公開基準額について、当初の自民党案は10万円超で大野議員も国会などで説明をしてきた。
しかし公明党の反発もあり、最終的に総理が5万円超に引き下げるという決断をした。
これまで10万円超というラインで説明をしてきた大野議員にとっては、答弁の整合性を問われる結果となった。総理の決断をどう受け止めたか

基本的に平たく言えば、大変な驚きではありました。
一方で、われわれはあくまでも民主主義の土台である政治資金の規正のあり方、特に不正を許さないという部分と、一方で政治活動を支えるという部分のバランスのもとに、どのような制度を構築すればいいのかを追求したわけです。
それで最初の提案になったわけですけど、理屈の部分がわれわれであるとするならば、総理の決断というのはまさに公明党、あるいは野党の皆さんとの政治合意の話ですから、目線が違う。驚きであるのは驚きであったのですけど、それはそれで政治ですから、そういうことも結果的には、さもありなんということはあると思います。

ただ私自身が少し考えるのは、結局議論というのは、民主主義とか、あるいは政治資金とか、不正を許さないとか、こういう前提が共有できているか。
議論には前提がある。ここが果たして共有できていたのかと。
例えばコップあるじゃないですか。コップを上から見ると丸。でも横から見ると四角ですよね。絶対四角だと思っている人と、絶対丸だと思っている人、ここを合わせないと多分共有できない部分があるんですよね。

もう1つは視点としては何か制度を作るにあたって、表面的に見える、例えば5万円とか10万円とか表面的に見えるものと、それが与える影響ですよね。背景ですよ。ここも共有されないといけないと思うんですけど、この2点が果たして共有されていたのか、これは私は大きな疑問を持っている。もう少し議論の関係者の中でこういったものを共有しておきながら、あるべき姿を議論できた方がよかったなと思いますね。

方針転換翌日の5月31日、記者からこれまでの答弁の整合性を問われ「総理の決断です」と答えた

ーそれは総理であるとか幹事長なり、もう少し上のレベルでそういった意識共有が与党間で詳細に詰められていた方が良かったのではないか、という考えか

全員ですよね。誰かがビジョンを共有して、その目的を明確にした上で、各関係者にそれぞれの役割に応じたミッション、役割を与えるというようなことが果たして行われていたのか。実はそういうことはなかった。われわれ実務者は実務者で、実務の観点で内容、条文を詰めていったということですから。実務者の協議、例えば自公では相当詰めた議論をしていましたけど、1つの反省材料ではあるかなと思います。

ーパーティー券購入者の公開基準額について、公明党の実務者との間では大野議員は意識共有できていた。それを覆す総理の決断の際、実務者レベルでは公明党とどのようなやり取りがあったのか

パーティー券は、なぜわれわれが10万円と言っていたか。国民の皆さんから見ると「これは何をやっているんだろう」と感じたのではないか。20万円だ、10万円だと。国民の皆さんとは少なくとも前提が共有されていなかったように思うんですね。

1つは、有権者の方から「普通民間だと1円から領収書は当たり前だろう。20万円、10万円ってなんだそりゃ」というご指摘をいただいたんですけど。これは決して、ご存知のように領収書の話ではなくて、全世界に1つ1つの取引(購入者や金額)を公開する、こういう基準ですよね。
だからもちろん領収書は全て1つ1つ発行しているのですけれど、それに加えて、5万円とか10万円とか、公開基準を下げると。

基本的にわれわれが答弁させていただいたラインは、政治参加が失われるという答弁のラインだったんです。誰か政治家を支えたいと思ったときに(氏名が)公開されてまで支援をしたいと思わないという方が大半なので。
逆を言えば当然、個々の議員の収入が下がっていくと。
政治活動の原資である政治資金が少なくなるので、結果的に党に頼ることになるわけです。党に頼った結果、党の言いなりとは言いませんが、その方向になる。
有権者の方に目線をしっかりと置いておくというのが、国民政党である自民党の考え方ですので、ちょっとそことは考え方が違いますよね、ということが背景にありました。

自民党、公明党の間ではそういった考え方は共有はいただいていたものだと私は理解をしています。
ただ果たして全体、議論の関与者全員でそういった観点が共有されていたのか、これは少し分からないところがありますよね。

ー規正法改正の議論が政局になってしまったことについてどう感じるか。憲法審査会では立憲民主党が、条文案を作るのであれば規正法の審議も含めて国会審議全て応じられないと発言したほか、9月に自民党総裁選を控えての岸田総理の判断というのも絡んできた部分があると思うが

基本的に一般論ですけども、何か議論を始める、ビジネスで勝負する、あるいは軍事作戦でもそうですけど、全てにおいて前提を共有する、ビジョンを明確に示した上で、そこに各組織の要員が与えられた役割で懸命に努力して、ビジョンを達成する、いわゆる戦略ですよね。
その部分が共有されていない限り結局、対処的になってしまうんです。
もちろん戦略を描くことが非常に困難な場合もあります。今回も確実に描ききれる内容だったのかというのはちょっと別ですけれども、そこが少なくとも共有されていなかったので、対処的にならざるを得なかった。

したがって政局に巻き込まれる、政局の問題に繋がってしまったと。ある種、私の中では必然な部分がありました。

特に今後、夏を越えて総裁選が控えているわけですし、各政党さんも代表選を控えているなか、当然そこは睨んでおかないといけなかった問題ではあるんですけれども、その中での規正法というのを明確に位置づけられていなかった。私は少なくともビジョンの話は誰からも伺ったことはないので、そういったものの不足感というのはちょっと考える、感じるところがあります。