プーチン大統領がちらつかせる、核兵器の使用。今、世界で「核兵器」への緊張が高まっています。

核の恐怖は、77年前から・・・

1945年8月、広島と長崎に原爆が投下され、この年の終わりまでに、合わせて21万人以上が犠牲になりました。この原爆をめぐって、当時、アメリカの軍部による「大きな嘘」があったという指摘があります。

私たちは、それが嘘だと証明する人物に、広島で会いました。

■母から「早く楽に死ねよ、早く楽になれよと」


イ・ジョングンさん。在日韓国人で、当時は16歳でした。

あの日の朝、鉄道員だったイさんは、勤務先へ向かう途中、この橋で信じられない光景を目撃しました。

イ・ジョングンさん:
あの朝、この状態が黄色く、オレンジ色に変わったんです瞬間的に。向こうの家がふわっと浮いたように見えましたので、これはただ事じゃないと思って、ここですぐ、うつ伏せになってベタっと。立ち上がったら前の家は倒れていました。


爆心地から1・8キロ。顔や首は真っ赤に腫れあがり、大変なやけどを負います。広島の街は地獄のようでした。

イ・ジョングンさん:
爪先で止まっている皮膚が垂れ下がったまま歩いている。逃げようとするのに一生懸命で。「この下に子供がいる、助けてよ」という声を聞くんですけども、悲しいかな、一人も手を引くことはできなかったですね。


16キロ歩いてようやく自宅へ。母親と再会できました。

イ・ジョングンさん:
「生きていたか」と私を抱きしめてわいわい泣くんですけども、韓国語でアイゴー(哀号)という言葉があるんですね。喜怒哀楽のとき色々使うんですが、そういう時のアイゴー(哀号)というのがものすごい胸にしみるんですね。その時を考えると・・・すみません・・・この年になってもあの言葉がまだ・・・

やけどにはウジがわき、原爆の放射線による下痢や嘔吐も。 毎日毎日、4か月も・・・もだえ苦しみ続けるイさんの姿を見るに堪えず、母親の口から、こんな言葉もこぼれたと言います。

イ・ジョングンさん:
痛くて眠れないんです。朝になって、私の顔を見ながら「お前このまま生きていてもどうしようもないじゃないかと。早く楽に死ねよ、早く楽になれよと。お前も苦しいだろう、であれば早く楽になれよ」というお母さんの気持ちだったと思う。