30kmほど離れた場所でも「黒い雨」に遭った記憶…

86歳の河野博さんは、原爆が投下された時、佐伯郡吉和村、今の廿日市市吉和にあった吉和国民学校の3年生でした。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「光った時にガラスがガタガタガタっと揺れましたよ。まもなくしてダーン!いう大きい音がして」「それからなんとも言えんねずみ色のようなのがぶわーっと上がって、空が真っ黒になってね、ほいで『山へ逃げ』いうことで」

校庭で並んでいた時に、山の向こうのキノコ雲を目撃。何が起きたのか分からないまま、先生の指示で裏山に逃げ、様子が落ち着いたので山から下りてきたところ、奇妙な光景を目の当たりにします。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「真っ黒な焼けた紙くずがいっぱい舞い上がった。冬ボタン雪が降るでしょ? ああいうように。珍しいけ、手でこうやって拾って」

自宅に帰って、昼食を食べてから3つ上の姉と、すぐ近くの小川に水遊びに出かけたといいます。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「その時には降りよらんかった。遊びよって降り出した。わりと降るのは降ったほいじゃが、台風みたいな感じじゃなかった」

現在、河野さんなど46人が、「黒い雨に遭ったのに、被爆者健康手帳の申請を却下された」として、広島市や県に対して処分取り消しを求めて提訴しています。