なりふり構わないからこそのカタルシスがある
そもそも國松弁護士から見て、明墨というのは一体どんな弁護士なのだろうか。
「私も含め、大半の弁護士は今ある法律や裁判の仕組みの中で全力を尽くします。でも明墨は、法律や裁判の仕組みの外側からも自由自在に手を繰り出し、どんな手段を使ってでも無罪を取りにいく。その点において、明墨は弁護士としてどう行動するか、という視点で物事を見ていないのだろうなと感じています。自分が持つ信念に基づいて行動するために、最も都合の良い手段が弁護士だったから弁護士をやっている。そんなふうに考えているからこそ、弁護士資格を失うかもしれないという恐れがない。それが彼の強みなんでしょうね。彼には彼の正義があると思うのですが、私たちのような一般の弁護士が考える“弁護士としてどう在るべきか”というのとは違うベクトルで動いているので、そもそも拠って立つ正義の意味が違うと思っています」と自身の見解を示す。

だが、数多ある法曹界を描いた作品の中で、國松弁護士が考えるこの作品ならではだと思う部分もまた「明墨の存在」なのだとか。
「あの立ち居振る舞いもそうですが、間違いなく犯人であることを知っていながら、堂々と「犯人ではない」、「冤罪である」といって無罪にする…そんな弁護士はなかなかいないので。実際に私も撮影現場に立ち会っていますが、長谷川さん自体の雰囲気がアンチヒーローを体現していますよね。独特な言い回しや立ち振る舞い、前述した裁判での所作やちょっとした動きも含めて。こんな弁護士は普通いないと思う反面、でも明墨ならもしかして…、フィクションのはずなのに“もし本当にいたら、これがリアルかもしれない”と思わせる、その独特の雰囲気がとても新鮮です」と、ドラマに対する率直な意見を語った。
裁判とはストーリーを練った“舞台”のようなもの
法廷で弁護をするにおいて一番重要なことを聞くと、「ストーリーが重要です」と國松弁護士。それは舞台のようなものなのだろうか。

「そうですね。検察側と弁護側が作るそれぞれのストーリーを傍聴席という観客の前で、裁判官という審査員に見せる。その上でどちらが好きなのかを選んでもらう。極端にいうとそういうことです。それぞれの当事者は、自分のストーリーに合った証拠があればどんどん使いますし、ストーリー上、都合の悪い証拠は排除する。証拠を全て出さなくてはいけないというルールはないので出さなくてもいいんです。
ただ、検察は組織力と強制力を行使して広く様々な証拠を集めることができる一方、弁護側にそんな余力も権限もありません。そこには歴然たる力の差があります。そんな中、今でこそ、裁判員裁判においては検察側がどんな証拠を持っているかという一覧リストが開示されますが、昔はそれすらもなかった。検察側がどんな証拠を持っているのか、出されていない証拠があるのかないのか、何も分からなかったんです。とても不利な状況だったんですよ」とその実状を語る。
「裁判官と検察官、弁護士という三者で裁判が進行するのですが、当たり前ですが、弁護士は弁護士としてできることしか普通はしません。被告人や事件関係者に話を聞くとか、証拠になりそうなものを確かめるとかですね。でもこのドラマは検察の証拠や裁判官の動きや判断にまで、一弁護士が様々な角度から食い込んでいく。現実とは違うけれども、そこが面白いなと思って拝見しています。検察が出してきた証人が嘘をついていないかなどの確認は当然しますが、そもそも、1、2話に登場したような鑑定書の捏造や検察と鑑定人との癒着を暴くなんてことは、通常の弁護士からすると発想の枠外です。しかも、その証拠の集め方はかなりグレーな方法でしたよね(笑)。でも、こうした変幻自在の技を繰り出して、まさに検察の主張を握り潰しています。最後の“ちゃぶ台返し”によって、我々には思い持つかないことをやってしまうストーリーがこのドラマの魅力ですね」と弁護士ならではの視点から物語を分析する。