
地震では海岸が最大4メートル隆起し、水位が下がったことで漁船が出せなくなりました。

(漁業者)「跡がついている。白と黒の。あそこまで水面だった。」「輪島の市場も全滅。氷もない、何もできない。誰も海に行かない」
能登半島地震では東日本大震災以来となる大津波警報が発表されました。
(寺山京子さん)「完全に津波が来ると思った、あの地震の動きというか音」
珠洲市で出会った寺山京子さん(73)です。大津波警報のサイレンが鳴り響く中、港のそばの自宅から正月で帰省していた息子と夫と、3人で避難を始めました。
(京子さん)
「車で出たが橋と地面がこれだけ差がついていて」
Q.道路が通れない状況?
「全然通れません」
珠洲市の避難計画では、津波の際の避難は原則、徒歩となっていましたが寺山さんはとっさの判断で車で避難しました。

しかし、道路は壊れた上潰れた家が道をふさいでいたため、車を乗り捨て、歩いて避難先の学校を目指しました。

(夫・広悦さん)「あっちこっちで『助けてくれ』と言っていて、手伝いをしながら避難所まで行った。自分も逃げたいけど『助けてくれ』と言っているのに放っておいて行くわけにはいかなかった」

能登半島地震では最大5.8メートルの津波が沿岸を襲い2人が亡くなりました。寺山さんの自宅周辺には地震から数分後に最大2.7メートルの津波が到達。倒壊した建物の下敷きになり逃げられず、津波で亡くなった人もいました。

(京子さん)「とにかく逃げること。大事なものは常に固めておいてすぐに逃げる」

能登半島地震から5か月。地震や津波が起こったとき自分や大切な人の命を守るためにどう行動するのか、鹿児島に住む私たちも考えておくことが大切です。
(キャスター)「仮設住宅ができてハード面の復旧復興が進みつつあるが、同時に新しい環境に移る住民の方の心のケアも必要になってきますね」
(記者)「先が見通せない中取材を受けてくださった人たちは『全国で災害が相次いでいるが、自分たちが被災するとは思っていなかった。地震や津波が起こったらこのような状況になることを鹿児島の人にも知ってほしい』と話していました」
災害が発生して日常が失われる怖さを実感し、自分のこととして備えなければならないと改めて感じています。