安倍晋三元総理を銃撃した罪に問われている山上徹也被告の裁判。

 11月13日(木)の第7回公判で、安倍氏の妻・安倍昭恵さんの上申書を検察官が読み上げました。
 
 上申書は、事件の発生から約1年後の2023年8月4日付けです。


▽「医師から説明を受け『ああ、ダメなんだ』と夫の死を悟った」「体はまだ温かく、頑張って待ってくれていたんだなと」

「7月8日の朝、朝食を一緒に食べて、午前8時ごろに元気な夫を見送りました。
 
 11時半ごろに母(安倍晋三氏の母)と一緒にいたところ、事務所から電話があり『夫が撃たれた』と。思わず『えーっ』と大きな声を出してしまいました。

 テレビの報道を見て、あまりに衝撃的な内容で理解が追いつきませんでした。

 夫の着替えを準備して、東京駅から1人で新幹線に乗って、隣の開いている席がなかったので、隣には知らない人が乗っていました。世界中の友人、知人からメッセージが届き、文面から状態を察しました。

 京都駅で新幹線を降りて、電車で奈良に行き、駅からは車で病院に向かいました。奈良の駅から病院まで、走って行った方が早いのではというくらい、渋滞していました。

 病院に着いて、医師から説明を受けて『ああ、ダメなんだ』と夫の死を悟りました。

 夫の顔は穏やかで、笑っているように見えました。

 耳元で『晋ちゃん、晋ちゃん』と呼んだら、手をほんの少し握り返してくれたように感じました。

 体はまだ温かく、頑張って待ってくれていたんだなと。
 
 心臓マッサージをしてくださっていた先生に『もう大丈夫です』と伝え、夫は午後5時3分に息を引き取りました」


▽「ただ生きていてほしかった、長生きしてもらいたかった。それが妻である私の心情です」

「衝撃的で、夢の中の出来事のようで、涙も出ませんでした。

 夫はどんな立場の人にも誠実で、決して偉そうな態度は取らず、勉強家で努力家でした。
 
 演説もいつも入念に準備をしていて、海外で演説をする際は、スピーチライターの人に録音してもらって練習していました。

 母との思い出作りをと、散歩したりしていたので、母を残していったのは心残りだっただろうなと思います。桜を見ると、母を連れてドライブに行っていただろうなと。

 夫は家族で友人で、かけがえのない人でした。

 令和2年9月に、持病の薬が効かなくなり、辞職した後、別の薬が効くようになって元気になりました。

 自宅では保護犬のロンと散歩することが多く、(事件の)前日か前々日にも散歩をしました。夫と過ごす時間はもっともっと続くと思っていました。

 夫の死を実感できるようになってから、あの日のことを思い出したり、夫のことを思い出したりすると涙があふれます。

 1周忌法要で、夫が親しくさせていただいていた方々のお顔を拝見すると、皆様と集まってわいわいと楽しく過ごすのが大好きだった夫の姿が脳裏に浮かび、『なんでここに夫がいないんだろう』という感情とともに涙が湧き出て、その涙を止めることができませんでした。

 まだまだ私の中で、夫を失った悲しみが昇華することはございません。

 あれこれ思いをめぐらせても、本当は、私は、ただ夫に生きていてほしかった、夫に長生きしてもらいたかったのです。それが妻である私の心情です」