かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。企業の弱みにつけ込み、株主総会に乗り込んで経営陣を震え上がらせる。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。
昭和から平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していった戦後最大の総会屋事件を振り返る。のちに捜査は政治家への利益供与、そして大蔵省接待汚職事件に発展したーーー
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業界ナンバーワンの野村証券への強制捜査のインパクトは大きかったが、これはプロローグにすぎなかった。東京地検特捜部長の熊崎は、1996年12月に就任以来、4月以降の捜査体制を練り上げ、内々で「主任検事」を決め、異動前に指示を出していた。
かつてない大型金融経済事件に臨むにあたり、東京地検特捜部の新体制はどう構成されたのか、「最強」と言われた捜査機関の実像をひも解く。
密かに特捜部に出向いてコピー
野村証券元社員の内部告発、「北海道新聞」のスクープから半年以上、特捜部は1997年3月25日、ついに業界トップ、ガリバー野村証券本社などの一斉家宅捜索に踏み切った。
夕方4時23分から始まった東京・日本橋の野村証券本社「軍艦ビル」への家宅捜索には、東京地検の検事、検察事務官や証券取引等監視員会の調査官ら180人以上が動員され、真夜中まで続けられた。
机の引き出し、ロッカー、本棚から大量の資料が段ボールに詰め込まれた。同社の役員らは、深夜になって特捜部から帰宅を許可されたが、多くのメディアがまだ本社前で、捜索が終わるのを待って取り囲んでいた。
このため役員らはめったに使わない裏口から外に出て、日本橋川沿いを懐中電灯を照らしながら、昭和通りまで歩き、タクシーで帰宅したという。
新年度を迎えるにあたり、特捜部長の熊﨑は法務総合研究所教官から特捜部に戻る予定になっていた井内顕策(30期)を、泉井事件の次のターゲットに見据えた野村証券、総会屋捜査全体の「主任検事」にあてることを決めていた。
井内は熊﨑副部長時代の「ゼネコン汚職事件」で、公正取引委員会の梅沢元委員長から核心の自白を引き出すなど、「割り屋」として名を馳せていた。その後、特捜部副部長として政治家の中尾栄一元建設大臣を受託収賄で逮捕して取り調べ、特捜部長当時は「西武鉄道事件」のほか、「日歯連ヤミ献金事件」を手掛け、村岡兼造元官房長官を政治資金規正法で在宅起訴するなど永田町に睨みをきかせた。熊﨑だけでなく、特捜部副部長の笠間治雄(26期)もそんな井内に全幅の信頼を寄せていた。
井内の人事発令は1997年4月だったが、熊﨑は1か月以上も前から井内にこう告げていた。
「泉井事件の次は野村証券だ。主任検事をやってもらうからな」
このとき井内は、まだ法務総合研究所第一部の教官として、検事の研修など日常業務があったため、密かに隣の庁舎内にある特捜部に出向いて、捜査資料を受け取り、休日などを利用して自宅の麹町の官舎で資料に目を通した。
また4月から新たに「野村捜査班」に加わる大鶴基成や八木宏幸らの検事にも事前に読み込んでもらうため、自分で捜査資料のコピーを取って渡していたという。
「法務総合研究所の他の教官や部長らに気付かれて、捜査情報が万一漏れないよう保秘に大分苦労した」(井内主任検事・現弁護士)
このときの人事異動では井内以外にも1993年の「ゼネコン汚職」で熊﨑のもとにいた多くの検事が特捜部に戻ってきた。東京高検から山本修三(28期)、山本は「リクルート事件」の「熊﨑班」で労働省、政界ルートを担当、リクルート社の幹部から半年かけて贈賄の供述を引き出した他、「共和汚職事件」では自民党宮沢派事務総長の衆院議員、阿部文男逮捕の端緒をつかむなど、食いついたら離さない「スッポンの山本」と言われていた。普段は「ヤマシュウ」の愛称で呼ばれ、一連の事件では「大蔵省接待汚職」の陣頭指揮を執った。
大分地検次席から大鶴基成(32期)。大鶴は私学が多い特捜部で東大卒、「ゼネコン汚職」で大物茨城県知事の竹内藤男の取り調べを担当した。「総会屋事件」では第一勧銀ルート班を率いて、奥田正司元会長を取り調べ、「大蔵接待汚職」では金融機関の「MOF担」から大蔵省金融検査官への過剰接待などを解明した。その後、特捜部副部長として自民党橋本派を舞台にした「日歯連ヤミ献金事件」、特捜部長時代には「ライブドア粉飾決算」「村上ファンド事件」などを手掛けた。「陸山会事件」では同期の谷川恒太(32期)の後任の東京地検次席検事として「陸山会事件」の対応にあたった。最高検公判部長を経て退官後はカルロス・ゴーンの弁護人も務めた。
粂原研二は出向先の「SEC」から2年半ぶりに復帰した。粂原は熊﨑副部長時代の「ゼネコン汚職」では、財政経済班からの応援で贈賄側の一社、西松建設の幹部の取り調べを担当した。「SEC」に出向中は多くの証券取引法違反事件を告発したほか、野村証券の「総会屋」小池隆一への利益提供の端緒をつかむなど、証券取引のエキスパートだった。粂原は後に「日興証券」の役員らに利益を要求していた衆院議員・新井将敬の取り調べを担当することになる。
司法研究所教官から松井巌(32期)、松井は北海道出身で東北大卒、野村証券のトップ、酒巻英雄元社長の取り調べを担当した。「総会屋」小池隆一の取り調べも途中から担当していたが、第一勧銀の宮崎元会長が自殺したことがわかり、東京拘置所で小池隆一に伝えたところ、小池は自責の念に駆られ号泣した。これ以降、小池は全面自供に転じたという。法務総合研究所教官から谷川恒太(32期)、谷川は「ゼネコン汚職」でゼネコンの押収物から「仙台市長」への贈賄を示すメモを見つけた。一連の事件では野村証券の酒巻社長の側近で株式取引のプロ、元常務を取り調べた。元常務は、小池隆一への「利益の付け替え」を現場に指示していた。谷川はのちに東京地検次席検事として「陸山会事件」の対応にあたった。こうした多くの「熊﨑軍団」がゼネコン汚職事件以来、再び顔を揃えた。

