不登校だった過去を馬鹿にされ“少年院帰り”

母親の千栄子さんは、翔さんが小学4年生のときに離婚。愛息を家でひとりにするのが心配で、自らの職場である引きこもりの若者を支援するNPO法人へ一緒に通勤していた。
千栄子さんがいつも身につけているブレスレットは、翔さんがお年玉やお小遣いをコツコツ貯めて、プレゼントしてくれたという。母思いの少年だった。
夢は、検察官になることだった。司法試験を受けるために勉強を頑張らねばと、中学から心機一転、学校に通うことを決心した。
しかし、入学してまもなく不登校だった過去を馬鹿にされた。「少年院帰り」などという言葉まで耳にした。担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われたという。
同じ中学校に通っていた翔さんの兄は、当時の弟をこう語る。
「『先生はいじめも解決できないし信用できない』と弟は言っていました。『自分は変わろうとしたのに大人は全く変わらない。助けてくれない』と話していました」