郡山と久留米 3.11でも受け継がれた「絆」
そして2つの市の「絆」は、2011年の東日本大震災の時にも受け継がれいました。
「久留米市から、11日の夜に出発したばい」
「ありがとうございます。たいへんでしたね」
「いやいや、ざっとなかはみなさんばい。がんばらやんばい」
こちらは福島県内の小学生向けの道徳教材に集録されている「がんばらやんばい」

震災直後、郡山市にまっさきに給水車で駆けつけたのが久留米市の職員でした。これは、その時の職員が住民に掛けた温かいひと言を題材にした物語で、今でも授業で使われています。

当時、郡山市の職員だった森尾さんは久留米からの支援は本当に心強かったと振り返ります。
森尾さん「久留米から何度も電話があり、当時まだ生きていた公衆電話から電話したとき、最初お話がでたときはほっとしたというか、こんなに心配してくれているんだと非常に感謝した次第です」
今でも続く 郡山と久留米の交流
また、郡山市と久留米市は震災後も復興支援で職員を派遣するなど交流を続けていて、新型コロナの流行で行き来が減った今でもしっかりとつながっています。
久留米市・遠藤修平さん「久留米の柿を送って福島のモモをいただくというようなやり取りは一年一度やらせていただいてます」
郡山と久留米。遠く離れながらも、明治時代から紡がれてきた「絆」は、これまでも、これからも、支えあっていくものなのかもしれません。