◆覚悟の投稿「助けてください」 ロシア政府の突然の変化
18歳の誕生日まであと10日と迫った2023年11月9日、ボグダンさんと弁護士は大きな勝負に打って出ました。ボグダンさんがゼレンスキー大統領に助けを求める動画を自撮りし、弁護士がSNSに投稿したのです。また弁護士自身もボグダンさん救出への協力を求める動画を撮影し、国際世論に訴えました。地元メディアや私たちを含む海外メディアは次々と報道し、同時にロシア政府に今後の対応について質問を投げかけました。
ロシアでこの問題を担当するマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表は、一貫してロシアによる子供連れ去りを否定しています。ボグダンさんについても「彼が『ウクライナに戻りたくありません』とする文書にサインをしている」と主張していました。
しかし、ボグダンさんの動画が大々的に報じられると、ロシア政府は急遽ボグダンさんの帰国を認めました。リボワベロワ氏は「ボグダンさんの考えが変わった」と説明したのです。
実はボグダンさんはロシア側の書類にサインをさせられた日、ウクライナの弁護士宛に「リボワベロワのオフィスで書かされた文書は私の意思ではありません」という文書を送っていました。
ボグダンさんが帰国を果たしたのは、2023年11月19日。ロシアの兵役対象となる18歳の誕生日でした。ロシアに連れて行かれて1年半、まさにギリギリのタイミングでの帰国でした。

◆JNNのインタビューで語った、ロシアの嘘と脅迫
2024年1月、ボグダンさんは私たちの単独インタビューに応じてくれました。そこで語られたのは、ロシア側の子供たちへの脅しや洗脳、そして数多くのウソでした。

(記者)
ロシアで過ごした1年半の間、どんなことを考えていましたか?
(ボグダンさん)
侵略者が私の家に来て私の街を破壊し、大勢の人を殺害しました。私は連れ去られ、ロシアのパスポートを渡されました。ロシアで暮らしたいなんて全く思っていませんでした。一刻も早く離れたかった。うんざりする日々でした。毎日を無かったことにして記憶の中から消そうとしていました。
(記者)
ウクライナに戻ればどんなことが待ち受けていると言われていましたか?
(ボグダンさん)
子どもたちは臓器を売られるぞ、大人は動員されて戦地に送られるぞ、と脅されていました。彼らはウクライナの子どもたちをロシア兵として動員するつもりです。世界に向けた報道には最適ですよね。“ウクライナの子どもがロシアに戻り、ウクライナを憎むあまり闘うことを決めた”なんて。
(記者)
あなたはウクライナに逃げようとして失敗しました。その時の状況とその後のロシア側とのやりとりを教えてください。