3月21日は「世界ダウン症の日」です。妊娠した待望の第二子が、「ダウン症かもしれない」と告げられ、葛藤しながらも産む選択をした女性がいます。彼女を支えたのは、家族からのある“言葉”。そして、子育てを通して気付くことができた“何よりも大切な幸せ”とは…。
お腹の我が子にダウン症の可能性 背中を押した母の言葉「だから何だ」

埼玉県・深谷市で子ども服のショップを経営する飯塚由未さん(45)。お店には、遠方からも多くのお客さんが訪れています。その目的は、おしゃれな洋服だけでなく、飯塚さんと子育ての話をすること。「親が笑顔でいることが子どもにはなにより大切だから、そのためになるなら嬉しいんです」と飯塚さんは明るく話しながら、お客さんに対応します。笑顔がなにより大切…それは、飯塚さんの息子が気付かせてくれたことだったといいます。
飯塚さんの次男、陸海(りあ)くん(6)はダウン症の男の子です。

妊娠して、その可能性を知ったとき、飯塚さんからは笑顔が消えたといいます。当時、飯塚さんは38歳。都内のアパレルショップから独立し、故郷の深谷市で自分の店をオープンさせるタイミングでした。
──どういう経緯で陸海くんがダウン症かもしれないと?
「妊娠14週で、医師から、胎児の首の浮腫が結構厚いので心臓に疾患があるか、ダウン症の疑いがあると説明を受けました。言われてすぐに大学病院に行ったんです」
ダウン症の赤ちゃんは、エコー検査で耳の位置が低く映ったり、鼻の骨が映らなかったりする場合があるといい、その所見が陸海くんにありました。
──「ダウン症の疑いがある」と言われたとき、どんな気持ちでしたか?
「最初はびっくりして泣いてしまって。お店がオープンしたてで、ダウン症の子を産むというのはすごくリスクだと感じてしまって。『ちゃんと仕事ができるのかな』とか、自分の生活が乱れてしまうのではないかと思ってしまって」
不安になった飯塚さんがすぐに相談をしたのは、飯塚さんの母でした。
「病院の玄関から母にすぐに電話をして、『もしかしたらダウン症の子かもしれない』という話をしたら、母に『だから何だ』って言われて。『お前そんなもんか』って言ってくれて、すごくはっとして。
2人目がなかなかできなくて、流産の経験もあって、すごく赤ちゃんが欲しかったはずなのに、ダウン症って聞いた瞬間にひよってしまう自分もいて、恥ずかしくなってしまったというか。
最後に『私の孫だから産んでちょうだい』って優しく言ってくれて、『なんでも力になるから』って。そういってくれた母のおかげで、自分の本当の想いを再認識できました」

電話をした後、大学病院でさらにエコー検査を受けましたが、その日、胎児がダウン症かどうかはわかりませんでした。
「23週になったら心臓が大きくなるので、疾患がないかどうかまた検査をしにくるか、羊水検査を受けるかどちらか決めてくださいと言われました」
──そのとき、夫・昌仁さんはなんて?
「私が思うことを言うとパパは『それでいいよ』って言ってくれる人なので、あえて私から『どうする?』ってパパに聞きました。そしたら、『当たり前でしょ、産むでしょ』って。『俺たちの子じゃん』って言ってくれたんです。この人なら大丈夫だって思って、産むことを決めました」