監督自らが映画の登場人物となる意味

この投稿は完全なプライベートでしたが、どんどん拡散を始めました、今見てみると、3600件以上シェアされています。その後、私の記者としての仕事は大きく変わりました。大学時代に観た無声映画『イントレランス』を忘れられなかった私が、やまゆり園事件で個人的にFacebookに書いた文章。それが反響を呼び、事件3か月後の書籍出版、YouTube、ラジオ、テレビと表現を広げ、最終的に行きついたのが今回の映画『リリアンの揺りかご』です。「障害者の父親」という側面を隠すわけにはいきませんでした。私が当事者として立たなければならない必然性がありました。そして、植松聖死刑囚とも会わなければならなくなったのです。しかし、それには勇気が必要でした。