岩手県・釜石市。

ホランキャスターが出会ったのは佐々木千夏さん。あの日、この坂を走って避難した。

ホランキャスター
「どんな思いでここの坂を登っていらっしゃったんでしょうか?」

佐々木さん
「私、喘息持ちだったので、もうこの坂の下ぐらいで息上がちゃって、ぜぇぜぇしてきたんです。もし津波が来ててっぺんまで行けなかったら、死んじゃうのかなって思いました」

津波で甚大な被害を受けた釜石市。佐々木さんの自宅や家族は無事だったが、故郷の風景は一変した。

その翌年から、意外な場所で応援の凧が上がった。

パレスチナ自治区ガザ。「遠く離れていても空は繋がっている」。被災地に想いを寄せ、子どもたちが凧をあげたのだ。

戦闘が繰り返されてきたガザ。人々の自由は制限され、「天井のない監獄」と呼ばれてきた。

そんな状況でも心を寄せてくれたお礼にと、2015年には釜石で凧揚げが行われ、ガザの中学生らが招待された。以来、二つの地域の交流は続いている。

釜石案内の人
「これ、大きな石なんですけど、これが流されて」

ガザの中学生たちは、津波の映像を初めて目の当たりにした。涙を流したのは、当時13歳だったガイダさん。

ガイダさん 
「津波で親戚や友達を亡くした人の気持ちがよく分かります。私も、戦争で友達や親戚を亡くしました」