東日本大震災「つなぐ、つながる」プロジェクト。スケボーを通じて町を盛り上げようと活動する平澤太一さん17歳。福島県・いわき市に住む高校生です。2月、能登半島地震の被災地でボランティア活動をしてきました。東日本大震災当時はまだ4歳。津波で祖父を亡くしましたが、初めて目の当たりにした大地震の被害に何を感じたのでしょうか。

福島の17歳少年「祖父のためにも」

太平洋に面する町、福島県いわき市の薄磯地区。開かれていたのは、スケボー教室。指導しているのは平澤太一さん(17)、いわき市に住む高校生です。教室にはボランティアとして参加。

平澤太一さん(17)
「僕がスケートボードが好きというのもあって、子ども達に薄磯の魅力を知ってもらうという目的があるので、その魅力を知ってもらいつつ、スケートボードを楽しんでもらえたら」

太一さんは、薄磯地区を盛り上げようと活動しています。そこには、特別な思いがありました。

平澤太一さん(17)
「薄磯の地で、祖父がかまぼこ工場を経営していて、その祖父が東日本大震災で亡くなって」

13年前、ここには約9メートルの津波が押し寄せました。薄磯地区の被害はいわき市内で最も多く、太一さんの祖父も犠牲となりました。

平澤太一さん(17)
「“祖父のためにも”という思いもあるし、もうずっとゆかりがある場所。薄磯という町がどういう魅力があるのかを人に知ってもらいたい」

一方、こんな思いも。

平澤太一さん(17)
「薄磯がこんなに綺麗になっているけど、能登の人達はまだまだ先も見えないし、不安な気持ちがずっと続いていると思う」