原爆投下直後に撮影された映像の子どもは私です。77年たって初めて名乗り出た男性が、体験を証言しました。

原爆投下から2か月後の広島で撮影されたカメラを見つめる男の子。被爆77年目で、初めて名乗り出ました。


「生きとりました、生きとりました」


おんぶをされた男の子。竹本秀雄さんです。撮影された当時は3歳でした。


竹本秀雄さん
(ご本人で間違いないですか?)「まちがいありません。表情がねぇ…あのかわいい目はどこに行ったんじゃろうか。77年間いろんなものを見てきましたからね」


竹本さんは左のほほに深い傷を負い、包帯を巻いていました。


竹本秀雄さん
「ここが裂けて。この傷なんですけど中の骨が見えていました。もっと盛り上がっていたんですよ、ケロイドで。19歳の時に外科で削ってもらった。いまだにジキッジキッという音を覚えています」


竹本さんは7歳の時、父親の仕事の都合で今の北九州市に引っ越しました。

竹本秀雄さん
「小学校の時にピカドンピカドンと言われました。あだ名でね言われたんですよ。ピカドンピカドンって」


おんぶをしていた少年は当時11歳の兄、定男さんです。ふたりは爆心地から1キロの自宅で被爆。竹本さんは建物の下敷きになりました。

竹本秀雄さん
「兄が見つけてくれて。秀雄がここにおると。兄が見つけてくれなかったら後は焼けましたからね。ここにいなかったと思います」

(仏壇で)「あんちゃんありがとうね。」


兄の定男さんは24歳の時、交通事故で亡くなりました。

竹本秀雄さん
「原爆の話なんてしたことがないです。お前を助けたぞという話も聞いたこともないですし」


その後竹本さんは理容師となりました。


自分が映像の少年であることは身内やごく親しい人に話したことはありますが、それを他人に伝えることは許しませんでした。



妻・竹本万喜江さん
「いやえぇ。ほっておいてくれという感じで、今まで友達も手が出せない。自分からも言わない」


77年間、語らなかった戦後。そんな竹本さんの気持ちに変化が起こりました。

竹本秀雄さん
「やっぱり戦争です。戦争は本当に悪いと思います。戦争はいけませんね。それは声を大にして言いたいですね。泣くのは一般市民です」


東広島市で開かれた原爆展の会場で竹本さんは初めて自らの体験を語りました。