「視線」と唯一動かせる「左の親指」を使って書類も作成

2024年2月には、名古屋市役所に福祉施設を開設するための書類を提出。全部で70枚以上そろえ、事業開設の申請を済ませることができました。これらの申請書類は、全て佐藤社長が自分で作ったといいます。

(仙拓・佐藤仙務社長)
「大変でした。(提出書類が)本当に多くて、当分書類はうんざりしている」

佐藤社長が使っているのは、視線入力装置。視線を検知して文字を選びキーボードを操作、唯一動かせる左の親指で選択。この繰り返しで、文章や表を入力していきます。試しに佐藤社長に口頭で読み上げた一文を入力してもらうと、漢字変換も含め10秒で完了しました。取材していた大石アンカーも視線入力装置を体験しますが、視線でのコントロールは非常に難しく、思い通りに入力できません。

佐藤社長は幼い頃から、全身の筋肉が衰える難病「脊髄性筋萎縮症」と闘っています。特別支援学校を卒業しましたが、就職できませんでした。

(仙拓・佐藤仙務社長)
「だったら自分たちで会社を起こそうと考えた」

自宅で名刺やホームページをつくる会社を立ち上げたのが始まりでした。会社が軌道に乗ると、通信制大学院で国際的なビジネス資格であるMBA(経営学修士)も取得。人気のフルーツサンド店、コロナ禍で注目されたキッチンカーなど、飲食業界にも参入しました。さらには地元の中学校から公演を依頼されたり、野球チームの名誉顧問を引き受けたりと、活躍の場は広がり続けています。

事業所の名前は「さてと」 “毎日に希望を持てる手助けを”

2024年2月22日、名古屋市に立ち上げた訪問介護事業所の準備が整っていました。ここの責任者は、佐藤社長のヘルパーだった神谷勇太さんです。

(仙拓・佐藤仙務社長)
「(Qヘッドハンティング?)そうですね、ヘッドハンティングですね。(Q色んな事業を展開しているから人材の大切さをよくわかっている?)人が一番大事ですね」

佐藤社長は、利用予定者の本田佳吾さん(45歳)の自宅を訪れました。本田さんは、筋力が衰えていく難病、筋ジストロフィーと向き合っています。利用者の要望を聞き取り、移動介護の確認なども行いました。佐藤社長は介護だけではなく、介護ヘルパーの育成にも力を入れていくといいます。

(仙拓・佐藤仙務社長)
「ヘルパーがいなかったら仕方ないと健常者の方は言うんですけど、(障害者が)日常生活を営む上で“仕方がない”だけで済む話ではない」

事業所の名前は「さてと」。そこに込められているのは「さてと、今日はどんな日にしようかな」と毎日に希望を持てるよう手助けしたいという思いです。

(仙拓・佐藤仙務社長)
「自分が与えられる側ではなくて、与える側になりたい。障害がある人の人生の選択肢を広げていくためには、いろいろなチャレンジを続けていきたい」

寝たきり社長の新しい挑戦は、これからも続きます。

CBCテレビ「チャント!」2月26日放送より