「憩いの場である公園にふさわしくなくなった」 突然の県による撤去の決定

ところが2014年。県は、碑の撤去を求めた。

群馬県知事のコメント
「追悼碑の存在自体が論争の対象となり、憩いの場である公園にふさわしくなくなったことから、更新を不許可とする判断をしました」

背景には、“碑文は捏造”などという歴史修正の動きがあるとみられている。

2012年頃から、ネット上で設置を許可した県や県議への抗議の呼びかけが広がっていた。実際、県には2012年~2014年の間に400件以上の電話やメールが寄せられていた。

さらに公園の前で、碑の撤去を求める団体と公園の職員らが小競り合いになる事態も起きている。

県は、碑の前で行われた式典での参加者の発言を問題視し始めた。

それは碑文ではあえて使わなかった“強制連行”などを含んだ発言。これが “政治上の目的には利用しない”という碑の設置条件に違反しているとしたのだ。

市民団体は、言いがかりだとして訴訟をおこし、8年あまり戦ってきた。

しかし、最終的に追悼碑は公園にあるべき「中立的な性格を失った」として県の判断は「適法」という判決が下された。

判決を根拠に県は、碑を強制的に撤去する行政代執行を決定。費用の3000万円を市民団体に請求している。