「過ちを繰り返さない決意を表明する」碑文に刻まれた思い

市民団体は、収集した古い文書や証言を冊子にまとめた。

群馬県内では少なくとも18か所、約4600人の朝鮮の人々が強制的に動員されたとしている。

「家族との別れも交わせずに連れてこられました」
「警察がついて回り、逃げることはできません」

長年、放置されていた朝鮮人の労務動員の実態。史実を掘り起こすうち、市民団体は追悼碑の建立を目指すようになった。

動員が国の政策として行われた以上、碑は公有地に設置することが重要だと考え、群馬県に場所の提供を求めたのだ。

村山 富市 首相(1995年当時)
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して、多大な損害と苦痛を与えた」

植民地支配への謝罪や反省を表明した、戦後50年の村山談話。加害の歴史に向き合う機運が生まれ、2001年、群馬県議会は全会一致で追悼碑の建立を認めた。

碑文の内容は、県や外務省も交えた2年がかりの話合いで決まった。

「政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、尊い命を失った人も少なくなかった」

「過ちを繰り返さない決意を表明する」

「アジアの平和と友好の発展を願うものである」