「今、聞いておかないともう永久にわからなくなる」追悼碑を建てた市民団体の思い

県立公園の一角に追悼碑が完成したのは2004年。当時の群馬県知事や、自民党の元県連幹事長らが追悼の言葉を寄せる様子が映像には残っている。
追悼碑を建てたのは、戦時中の朝鮮人の労務動員について史実の掘り起こしをすすめてきた市民団体だ。
メンバーの一人、矢中幸雄さん(80)。日本人も含めて60人近い人たちの証言を聞きとってきた。

矢中 幸雄さん(80)
「戦後30年40年経っていても、あまり話したがらなかった。『あの経験は俺たちで十分』『伝えることもない』『もう思い出すのも嫌だ』と。そういう人たちが多かった」
「日本人の私たちも、本当に嫌な経験だけどポツリポツリと話してくれた。そういう人たちに本当に感謝しています」
聞き取りを記録していた映像が残されている。
朝鮮半島出身の男性は日本で働けば、十分な食事に酒も出ると勧誘されて船に乗ったものの、全くの嘘だったと話す。

朴 逸初さん(当時80)
「日本に来て最初、ご飯くれるの見たら全然話が違う。二月、三月目に入ったら眩暈がする。腹がへっちゃって。飯食わさないから。こんな小さいたくあんが、今の500円玉くらいのが3つ。みそ汁はちょっとだけ」
過酷な作業現場で弟が亡くなったこと。終戦後は朝鮮人だからと補償から外されたこと。カメラには、そうした話に静かに耳を傾ける矢中さんたちの姿も映っていた。
市民団体の代表・猪上輝雄さんが証言を聞く理由を語っていた。

猪上 輝雄さん(当時66・享年87)
「今、聞いておかないともう永久にわからなくなる。歴史から消えてしまう。どのくらい残せるかわからないけれど、こういう事実を書き留めたり、資料として残して。それを今、日本人が知らないと、今後の日本と朝鮮の関係もうまくいかない。年取った私たちの責任でもあるけれど、日本の若い人たちに伝えていきたい」