
深掘りDIG
戦後80年「つなぐ、つながる」「#きおくをつなごう」

「俺は舞台の上で死にたい」東京と富山…2度の空襲を生き抜いた声楽家・浅岡節夫さん(94) 戦争の悲惨さを歌にのせて伝える 富山

"シベリア抑留"体験者なき戦後に備え「リアルな声を」AIで未来へのこす若者たちの取り組み 「実際に質問することで理解が深まる」と期待の声

島民の記憶に今も残る不時着した特攻隊員との“つながり”「お米のごはんが…泣いた」 中学生が聞く戦争の記憶 鹿児島・黒島

“音のない”富山大空襲を語り継ぐ93歳 手話による語り部

総延長は200m規模…国内最大規模の防空壕内部が初公開 仙台市地下に今なお残る…巨大防空壕が問う平和の大切さ

「大好きだった」 その言葉を残して戦争へ 終戦のとき20歳だった若者は現在100歳 「好きな人は?食べ物は?」 今の20歳と戦禍の20歳に聞いてみた【戦後80年】

「数人に分け連行し殺害」旧日本軍のマレーシア“華僑虐殺”生存者が語る 指揮の日本兵親族は“加害の歴史”に向き合う【戦後80年つなぐ、つながる】

“二度と子どもたちを犠牲にしない”勤労奉仕中に被爆した元女学生の思い 自らの体験を語り続ける95歳の被爆者「この手で何人も何人も下級生を焼いた」 広島


80年前・蔵王連峰の“不忘山”に3機のB29が謎の墜落 犠牲となった米兵34人を地元住民はなぜ弔ったのか
