戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。第2次世界大戦中に作られた日本の「国策紙芝居」は、テレビのない時代の「ニューメディア」として戦意高揚のために利用された歴史がありました。

「桃太郎、むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」

長野市の清泉大学短期大学部・教授の塚原成幸さん。教壇に立つ傍ら、県内で紙芝居を上演する活動を行っています。演じているのは「桃太郎」ですが…

「どうだ降参するか?許してください。日本の国は子どもでもあなたのように強いのですね」

第2次世界大戦中に地域や学校などで上演された「国策紙芝居」。戦争を支えるため生活の改善や体力の向上を呼びかけるもの、スパイの防止など内容は多岐にわたり、終戦までのおよそ4年間で1000作品以上が作られ、最盛期には年間70万部が発行されたといわれています。

中には、カタカナと中国語の表記がある紙芝居もありました。

清泉大学短期大学部 塚原成幸 教授
「『宣撫班』という戦争についてPRする部隊があった。奉天省は旧満州の地域を指していて、現地で作られたもの」

大学では先月、国策紙芝居およそ40点の展示や上演が行われました。

「ハワイ真珠湾軍港に襲撃し、不滅の戦果を挙げ、身もまた護国の華と散った。お母さん喜んで下さい。僕たちはやりましたよ」

年間およそ1万8000部が発行されたという「軍神の母」は、ハワイ真珠湾攻撃で戦死した軍人の母の物語です。

「気高くやさしくつつましい、この母の姿こそ、昭和の九軍神を生んだ日本の母の姿である」

出演者
「演じていて自分自身が戦争を肯定する気持ちになった。紙芝居で人を戦争へ向かわせる怖さを、しみじみ思いました」

鑑賞した参加者
「どうやって真実を見ていくか、一人ひとりの意識がとても大切」
「戦争へ誘導するものは(今後も)いろんな形で出てくるのでは」

1930年ごろに日本で誕生したという紙芝居。テレビのない時代の娯楽であった「ニューメディア」が戦争に利用されたことに、塚原さんは警鐘を鳴らします。

清泉大学短期大学部 塚原成幸 教授
「最先端のメディアがどう応用され活用されるか、考えるいい機会」