市場が警戒する「悪い金利上昇」とベッセント財務長官の苦闘

米国では足元で長期・超長期金利の上昇が続いており、市場の最大の関心事となっている。

背景には、財政赤字の拡大に伴う国債発行の増加に加え、AI関連投資ブームを背景とした民間部門の資金需要拡大がある。特にハイパースケーラーを中心とする巨額の社債発行は、国債市場と社債市場の双方で金利リスクの供給を増やし、タームプレミアムの押し上げ要因になっている。

こうした中、ベッセント財務長官は長期債のバイバック拡大を打ち出した。財務省は10年超の既発債を買い戻し、その資金を主として短期国債発行で賄うことで、市場に残るデュレーション(金利リスク量)を圧縮しようとしている。もっとも、バイバックによる長期・超長期国債の購入規模は巨額の国債市場全体からみれば限定的であり、市場の不安解消には至っていない。

さらに8月24日には、財務省が約1兆ドル規模まで積み上がったTGA(Treasury General Account、財務省一般勘定)を活用し、バイバック原資に充当する可能性が報じられた。TGAはFRBに預けられている米政府の預金口座であり、いわば「政府の当座預金」である。これを活用すれば短期国債の追加発行に頼らずバイバック資金を調達できるため、より強力な需給改善効果が期待される。しかし、それでも財政赤字そのものが改善するわけではないため、市場が根本的な安心感を得られるかは不透明である。

足元の債務問題が根深いと言えるのは、よくある政府の財政問題と違い、民間企業の社債発行の増加(ハイパースケーラーのキャッシュフローのリスク)が絡んでいるからである。仮に民間企業の社債の発行が困難になれば、債券市場は落ち着くかもしれないが、AI・半導体関連の成長期待が損なわれる可能性があるという別の問題に火をつけることになりかねない。

鍵を握るのは財政健全化への本気度

今後の市場動向を左右するのは、バイバックの規模やTGAの活用といった需給対策ではなく、財政健全化への本気度だろう。

ベッセント財務長官は8月下旬にも「財政健全化(Fiscal Consolidation)」への重点的な取り組みを公表する方針を示している。むろん、政府部門の財政健全化によって民間企業の社債発行の増加が抑制されるわけではない。しかし、政府がコントロールしにくい民間部門の調整を待つよりも、政府部門が財政健全化によって国債供給圧力を緩和する方が、債務問題のソフトランディングにつながる可能性が高い。

金融危機後とコロナ後を比較する

政府が財政健全化へ向かう流れそのものは決して珍しい話ではない。むしろ、大きな経済ショックによって債務が膨張した後には、ほぼ必然的に生じる現象とも言える。まず金融危機後のケースを振り返ってみよう。

≪① 金融危機後のケース≫

(1)金融危機発生(2008~09年頃)
⇒景気対策や金融システム支援によって世界的に政府債務が急拡大

(2)欧州債務危機へ波及(2010~12年頃)
⇒欧州周縁国(ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペイン等)を中心に国債利回りが急上昇し、通貨安(ユーロ安)と財政緊縮が進展

(3)需要不足による低インフレ局面へ(2013~20年頃)
⇒緊縮財政の影響もあり世界経済の回復は鈍く、低インフレ・低金利と金融緩和競争が続く

一方、コロナ危機後は下記の展開となっている。

≪② コロナ危機後のケース≫

(1)コロナ危機発生(2020年頃)
⇒大規模な財政出動によって世界的に政府債務が急拡大
※世界的インフレ局面・債務問題モラトリアム期間(2021~25年頃)
⇒高インフレによる「インフレ税」や名目GDP拡大によって、債務問題の顕在化が先送り

(2)米国債務問題へ波及?(2026年~?)
⇒インフレ沈静化に伴い財政赤字や債務持続性への関心が高まるなか、ベッセント財務長官は財政健全化への取り組みを示唆

(3)需要不足による低インフレ局面へ?(将来的に?)
⇒財政健全化や緊縮財政が進めば需要が抑制され、低インフレ・金融緩和局面へ移行する可能性。ドル安圧力が強まる展開も想定される

金融危機後の特徴は、比較的早い段階で各国が財政再建へ向かったことである。結果として総需要は抑制され、インフレ率は低迷した。名目GDP成長率も伸び悩み、債務残高の対GDP比率は改善しにくくなった。その結果、さらなる緊縮財政が求められるという悪循環が生じたのである。

他方、コロナ危機後の最大の特徴は、金融危機後と異なり世界的インフレ局面が出現したことである。高インフレは政府債務の実質価値を目減りさせると同時に、名目GDPを押し上げた。結果として、本来であれば早い段階で問題視されるはずだった債務問題の顕在化が先送りされた。言い換えれば、2021~25年頃は債務問題に対する「モラトリアム期間」であったと言えるだろう。

しかし、インフレ率が低下し始めると話は変わる。名目GDPの押し上げ効果が弱まり、再び市場の目は財政赤字や債務残高に向けられる。その意味では、現在の米国債務問題は、金融危機後に欧州債務危機が発生したのと同様、コロナ危機後の世界が直面する次の局面と考えることもできる。

最終的な行き先は同じなのか

債務問題に火が付いた後の対処法はいくつかある。欧州債務危機後のように財政健全化へ向かう道もあれば、高めのインフレ率を容認しながら名目GDPの成長によって債務比率を引き下げる道もある。後者は、実質的にはインフレ税を活用して債務負担を軽減するアプローチと言える。これは、日本の高市政権の政策構想に近い考え方である。

もっとも、このアプローチにも限界がある。インフレ率の上昇は政府債務の実質価値を低下させる一方で、家計の実質所得を圧迫する。賃金上昇が物価上昇に追い付かなければ消費は弱まり、需要不足につながる可能性が高い。さらに、高インフレが長期化すれば中央銀行は金融引き締めを迫られ、最終的には景気減速や資産価格調整を招くことになるだろう。

その意味では、財政健全化を通じて債務問題に向き合う場合も、高めのインフレを通じて時間を稼ぐ場合も、経路こそ異なるが最終的には総需要の調整局面を迎える可能性が高い。金融危機後に世界経済が需要不足による低インフレ・低金利局面へ移行したように、コロナ危機後の世界も、いずれは低インフレ・金融緩和局面へ収れんしていく可能性があるだろう。

こう考えると、足元の米国債務問題は偶発的な出来事ではなく、コロナ危機後の世界経済が必然的に直面する調整局面と捉えることができる。そして現在示唆されているベッセント財務長官の財政健全化策は、米国がどのパスを通じて債務問題のコストを負担していくのかを占う重要な試金石となる。市場が注目しているのは、バイバックの規模ではない。米国政府が債務問題を先送りし続けるのか、それとも正面から向き合うのか。その選択そのものなのである。

(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)