スカイマーク推し活おうえん保険
こうした推し活向け保険はJCBだけではない。同様のサービスとして、スカイマークは「スカイマーク推し活おうえん保険(航空券キャンセル費用保険)」を提供している。本商品は、スカイマークのホームページから購入した航空券を対象とした保険であり、参加を予定していたライブやコンサートなどのイベントが中止・延期となった場合や、本人・家族の入院など所定の事由によって搭乗を取りやめた場合に、払い戻しを受けられない航空券の取消手数料や払戻手数料を補償するものである。実体としては航空券キャンセル費用保険であるものの、「推し活おうえん保険」というネーミングが与えられることで、商品は単なる保険ではなく、推し活をする人に寄り添うサービスとして認識される。保険の機能そのものが変わるわけではないが、誰のための商品なのかが明確になることで、「自分事」として捉えられやすくなっている。
どちらの商品も、共通しているのは「推し活」という目的によって生じる経済的損失を補償する保険であるという点である。推しに会えなかったという精神的なショックを埋めることはできない。それでも、「せめてもの救いかぁ……」と思える存在にはなり得るだろう。
「いつ」「誰が」「どのような場面で」必要となる保険なのか
筆者はこれまで、特に生命保険については、若年層ほど加入の必要性を見出しにくいと指摘してきた。将来への備えよりも現在の生活を優先せざるを得ない人が増え、消費そのものも未来志向から現在志向へとシフトしている。未来に備えたい気持ちはあっても、そのために回せる余力がない人は少なくない。また、結婚や出産といったライフステージの変化を迎えていない若年層にとっては、「なぜ今、生命保険に加入する必要があるのか」という理由を実感しにくい。その結果、保険は必要性を理解しながらも後回しにされやすい商品となっている。
もちろん、生命保険と損害保険は役割も商品設計も異なるため、単純に比較することは適切ではない。しかし、損害保険は「何に備える保険なのか」という目的が明確であるため、掛け捨てであっても「お守り」として加入したいという心理が働きやすい。特に近年は、補償対象が具体的であればあるほど、自分事として捉えられやすくなっている。「いつ」「誰が」「どのような場面で」必要となる保険なのかが一目で理解できることは、保険商品を選択する上で大きな意味を持つ。
一般的には、保険という言葉には依然として難解で複雑というイメージが付きまとい、一定の金融リテラシーも求められるものであるが、近年ではスマートフォン保険や旅行保険、そして今回の推し活キャンセル保険のように、同じ短期保険であっても、商品名だけで補償内容が直感的に理解できるものが増えている。しかし、MysuranceとOshicocoの調査では、キャンセル保険の認知率は約1割にとどまっており、そもそも自分の抱えるリスクを補償する保険が存在すること自体を知らない人が大半であることも明らかになっている。
消費者が支出に慎重になっている現代では、「なぜこの商品が自分に必要なのか」を直感的に理解できることが、これまで以上に重要になっている。そして興味深いのは、人々を慎重にさせている「消費に失敗したくない」という心理そのものが、新たな保険市場を生み出している点である。推し活キャンセル保険は、単に遠征費用を補償する商品ではない。推し活という消費行動に伴うリスクを可視化し、その不安を軽減することで、人々が安心して消費できる環境を提供する商品なのである。言い換えれば、現代の保険は漠然と「万一に備える」のではなく、「安心して消費するためのサービス」へと、その役割を広げつつあるのではないだろうか。保険は時代とともに補償対象を変えてきた。現代では、命や財産だけでなく、人々が大切にしている消費や体験そのものも、守るべき対象になり始めているのである。
「チケットを予約する=未来の自分を予約する」
もっとも、この保険が推し活をする人すべてに支持されるとは限らないだろう。むしろ、加入するのは、推し活初心者や遠征に慣れていない人の方ではないかと筆者は考えている。例えば、予約金額3万円に対して保険料900円(料率約3%)という水準は、高額なキャンセル費用に備える「安心料」と考えれば決して高くはない。また、「推し活キャンセル保険」という商品名も、「Travelキャンセル保険」より自分事として受け止めやすく、「これは自分のための保険だ」と直感的に理解できる点で優れている。なにより、推し活初心者ほど、宿泊施設や交通手段の選択、キャンセル規定などに関する知識や経験が十分ではない。そのため、実際のリスクの大小というよりも、「何が起こるか分からない」という不安そのものが保険への加入を後押しする可能性がある。
一方で、遠征経験を重ねた人は、キャンセルしやすい宿泊施設の選び方や交通手段ごとのリスク、遠征そのもののノウハウを身に付けていく。大きなトラブルを経験していなければ、「これまで大丈夫だったのだから今回も問題ないだろう」という経験則が働き、保険の必要性を感じにくくなるのかもしれない。
この傾向は海外旅行保険にも通じる。保険の窓口インズウェブが実施した調査では、「直近5年間に行った海外旅行で、自ら申し込む海外旅行保険(クレジットカード付帯保険を除く)に加入したか」との質問に対し、海外旅行経験者869人のうち加入者は264人、加入率は30.4%であった。クレジットカード付帯保険の利用者が一定数含まれることを考慮する必要はあるものの、筆者はこの数字を直感的には低いと感じた。海外旅行は推し活遠征以上に不測の事態が起こり得るにもかかわらず、多くの人は保険に加入していないのである。
結局のところ、保険はリスクを完全に回避するための商品というより、「万が一が起きても大丈夫」という文字通り「お守り」として安心感を購入する商品としての側面が強い。そして、その安心を必要とするのは、経験が少なく何が起こるか分からない人であることが多い。逆に経験豊富な人ほど、自らの知識や経験によってリスクを管理できるという感覚が強くなり、保険の必要性を感じにくくなるのかもしれない。
余談であるが、筆者自身も昨年、イギリスまで推しのバンドのライブを観に行く予定だった。しかし、やむを得ない事情によって渡航を断念することとなった。宿泊施設についてはキャンセルできたものの、航空券は払い戻しを受けることができなかった。さらに、ライブチケット購入時には現地のボックスオフィスでキャンセル補償を付帯していたため、当初は保険が適用されるものと考えて補償を申請した。しかし、約1か月にわたってやり取りを重ねた末、補償対象外との判断が下され、保険金は支払われなかった。
推し活とは、数か月先、時には一年近く先の予定を見据えて、チケットや交通手段、宿泊先を少しずつ予約していく消費である。かつては数か月先のイベントが一般的であったが、近年では一年近く先のライブや舞台のチケットが販売されることも珍しくない。その間には、本人の事情だけでなく、社会情勢や自然災害、出演者の体調不良など、さまざまな不確実性が存在する。
それでもファンは、「その日」に推しに会えることを信じて予定を組み、日々を過ごしている。チケットを予約し、自分の席を確保するということは、単にライブへの入場権を購入しているのではない。不確実性に満ちた数か月後、あるいは一年後の「未来の自分」を予約していることでもある。その未来が予定どおり訪れる保証はどこにもないからこそ、推し活は期待と不安を抱えながら未来に投資する消費なのである。
もちろん、保険ですべてのリスクを補償することはできない。しかし、楽しみにしていたイベントへ行けなくなった精神的な喪失感に加え、高額な遠征費まで失うという二重のダメージを少しでも和らげる存在になれるのであれば、このような保険には十分な意義があるのではないだろうか。筆者自身は補償を受けることはできなかったが、少なくとも、この保険が「行けなかった」という喪失感を抱えるファンにとって、せめてもの救いとして機能することを、一人のオタクとして願わずにはいられない。
(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 准主任研究員 廣瀬 涼 )