・推し活は遠征や宿泊を伴う大きな消費であり、中止時の損失リスクが大きい。
・イベント中止や体調不良に備える「推し活キャンセル保険」が注目されている。
・本保険の仕組みを通じ、現代の消費行動と保険の新たな関係性を考察する。
はじめに
ジェーシービー(JCB)は7月7日、「推し活キャンセル保険」の販売を開始したと発表し、話題となっている。同商品は、損害保険ジャパン子会社で少額短期保険業を手掛けるMysuranceと、「推し活」に特化したマーケティング企業であるOshicocoが共同で企画・開発し、2025年に提供を開始した保険商品である。同商品は、旅行キャンセル費用を補償する損害保険分野の少額短期保険商品であり、「推し活キャンセル保険」は「Travelキャンセル保険(国内)」および「海外旅行キャンセル保険」のペットネームである。
より具体的に言うと、ライブやコンサート、舞台などのイベント遠征を対象に、交通機関の欠航・運休やイベントの中止、急な体調不良などによって遠征を断念した際に発生する宿泊費や交通費などのキャンセル費用を補償する、日本初の「推し活」特化型キャンセル保険であるが、あくまでもイベントに参加する際にかかる宿泊費と交通費が対象であるため、参加できなかったイベントのチケットそのものへの補償はされない。
商品開発にあたり実施された推し活層への調査では、コロナ禍以降、国内外への遠征需要が回復するなか、回答者の約5人に1人がイベントやコンサート、舞台などの遠征をキャンセルした経験があると回答した。なかには、キャンセル費用が10万円を超えたケースも確認されている。キャンセル理由としては、交通機関の欠航・遅延やイベントの中止、急な体調不良など、自身では回避できない事情が上位を占めた。推しに会えない精神的なショックに加え、高額なキャンセル費用を負担しなければならないことは、推し活を行う人々にとって大きな経済的・心理的負担となる。一方で、調査ではキャンセル保険の認知率は約1割にとどまっており、こうしたニーズに応える形で、MysuranceとOshicocoは「オタク遠征のお守り」をコンセプトに本商品の提供を開始した。
交通費・宿泊費は推しにかかる費用ではない
松井証券株式会社は、全国の20~69歳で「推し活」を行っている1,000名を対象に、「推し活とお金に関する実態調査」を実施した。その結果、推し活にかかる費用を負担に感じる人に具体的な内容を尋ねたところ、「グッズの購入費用」(32.3%)、「コンサートやライブのチケット購入費用」(29.4%)、「遠征費用」(26.8%)が上位を占めた。推し活に伴う支出のなかでも、遠征費は多くの人にとって大きな負担となっていることが分かる。
興味深いのは、宿泊費や交通費は推し活を実現するために不可欠な支出である一方、それ自体が満足や幸福を生み出す消費ではないという点である。ファンが本当に価値を感じているのは「推しに会う」という体験であり、ホテルや新幹線、航空券は、その体験を実現するための手段に過ぎない。言い換えれば、遠征費は避けることのできない必要経費でありながら、できる限り抑えたいコストでもある。
だからこそ、イベントや公演が中止・延期となった場合、ファンが受ける損失は単なる金銭的なものではない。これまで推しに会える日を励みに仕事や学業を頑張り、日常生活を支えてきた人にとって、「なんのために今日まで頑張ってきたのか・・・」「何を目的に生きていけばいいのか・・・」と、公演の中止は楽しみを失うだけでなく、日々のモチベーションそのものを奪う出来事になり得る。筆者はこれまで、推し活は単なる趣味ではなく、人によっては生活を支える「生命線」のような役割を果たしていると指摘してきた。その意味で、公演が中止となり、精神的な喪失感を抱えたうえに、行くことのできなくなった遠征費まで自己負担しなければならない状況は、まさに「泣きっ面に蜂」といえるだろう。
商品内容
補償対象は、交通機関の遅延・欠航やイベントの中止・延期に加え、感染症への罹患や本人・家族の急な入院・通院など幅広く設定されている一方、イベントチケット代そのものは補償対象外となる。保険料は予約金額に応じて決まる料率制を採用しており、例えば予約金額3万円の場合、保険料900円(料率約3%)で加入できる。また、出発16日前までであれば、保険金を請求していないことを条件に保険料は全額返還される。補償額は、旅行をキャンセルした際に発生する交通費や宿泊費などのキャンセル費用を上限として支払われる仕組みとなっている。
一方で、補償対象外となるケースも少なくない。例えば、イベントチケットを購入していない場合や、抽選に落選したことを理由に遠征を取りやめる場合は補償の対象とならない。また、保険加入後にホテルなど宿泊施設の予約を変更した場合は、契約内容を引き継ぐことができない。
商品概要だけを見ると、一般的なキャンセル保険のようにも見える。しかし商品ページを読むと、推し活文化をかなり深く理解したうえで設計されていることが分かる。例えば、LCC(格安航空会社)のキャンセル不可運賃を利用する場合は、キャンセルした事実や航空機に搭乗しなかった事実を証明する書類(ノーショー証明書など)の提出が必要となる。また、宿泊を伴わない新幹線や夜行バスのみの移動は加入対象外となるなど、実際に推し活をしている人に起こり得るケースが具体的に想定されている。
特にリアルだったのが
チケット代金そのものは支払わないものの、CD等の購入者が参加可能なリリースイベント等については、遠征(旅行)予約時点でリリースイベント等の開催日時や参加が確定している場合に限り、そのイベントは予めチケットを購入したイベントとみなします。 参加が未確定(抽選前で参加できるかどうか分からないなど)な状況で、遠征(旅行)予約をしたが、結果として参加できないため、遠征(旅行)予約をキャンセルする場合は補償の対象外になります
という文だ。推し活文化に精通していないと、「何を言ってるんだこれは」と思うかもしれないが、アイドルのリリースイベントでは、対象CDを購入することで、ミニライブや特典会への参加券や抽選応募券を得られることが多い。そのため、イベント参加を見込んで遠征のホテルや交通手段を先に確保するファンも珍しくない。しかしCD購入後に抽選結果を待つ段階で遠征を予約し、結果として参加できなかった場合のキャンセルは補償対象外になるということだ。
推しが出てなくてもイベントが決行されたら対象外
一方で、ファンにとって精神的なダメージが大きいにもかかわらず、補償対象外となるケースもある。それが、「イベント自体は予定どおり開催されるものの、推しだけが出演を見合わせる場合」である。例えば、音楽フェスで推しのグループだけが出演をキャンセルした場合や、グループの単独コンサートで推しのメンバーが体調不良により欠席した場合、あるいは舞台で推しの俳優が急遽降板し代役で公演が行われた場合などは、イベントそのものは中止・延期ではないため補償の対象とはならない。
このようなケースは決して珍しいものではない。アーティストや俳優の体調不良、けが、その他の事情による出演見合わせは毎年のように発生している。さらに厳しいのは、その発表が公演当日や開演直前になることも少なくない点である。遠征を伴うファンのなかには、すでに現地へ到着した後に、推しが出演しないことを知るケースもある。
推し活において、ファンが見たいのは「イベント」ではなく、「推し本人」である。推しが出演しない公演は、ファンにとって本来期待していた体験とは全く異なるものになってしまうし、推しが出ないならイベントに参加する事そのものをやめることが普通であろう。にもかかわらず、イベント自体が開催される以上、保険の補償対象とはならない。この点は、保険制度としては合理的である一方、推し活をする立場からすれば、精神的なダメージが最も大きい場面で補償を受けられないという意味で、もどかしさを感じる部分でもある。なお、詳細な補償内容や加入条件については商品ページを参照されたい。