カタールを世界有数の富裕国へと押し上げたハマド・ビン・ハリファ・サーニ前首長が死去した。74歳だった。

カタール首長府「アミリ・ディワン」がXへの投稿で明らかにしたところによると、ハマド氏は7月12日朝に死去した。死因は明らかにしていない。

1995年に無血クーデターで父親を退位させた。その後18年間統治し、息子のタミム・ビン・ハマド・サーニ現首長に首長位を平和裏に譲った。在位中、カタールは、96年に液化天然ガス(LNG)の初出荷を行った段階から、世界最大のLNG輸出国へと成長した。ハマド氏はその富を世界的な影響力と国民の比類ない豊かさにつなげた。

在カタール米大使館はソーシャルメディアへの投稿で哀悼の意を表した。「カタールを近代化させ、同国を米国にとって極めて重要な世界的パートナーへと変貌させた先見性ある指導力を持つ、父なる首長の大きな喪失を悼む」とした。

1952年生まれのハマド氏は、英サンドハースト王立陸軍士官学校で学び、71年にカタール軍に入隊した。77年に皇太子に指名され、石油・天然ガス生産を含む国政の日常運営を担う権限を徐々に拡大した。95年には父親のハリファ氏が息子の権限の一部を取り戻そうとしたが、ハマド氏は父親がスイスに滞在している間に権力掌握に動いた。アレン・フロムヘルツ氏の著書「Qatar: A Modern History」によると、ハマド氏は戦車と兵士を動員してアミリ・ディワンを包囲するよう命じた。ハリファ氏が支援した反クーデターはいずれも失敗に終わった。

近代化と投資

44歳で権力を握ったハマド氏は当初から、湾岸地域とカタール国内の双方で近代化を進める存在と見なされた。限定的ながら民主改革の導入を試み、1999年にはカタール初の地方選挙を実施し、国民投票で承認された憲法を2004年に制定した。ただ、後継者と共に約束したより本格的な議会選挙は、なお実現していない。

世界銀行のデータによると、同氏の統治下でカタール経済は20倍超に拡大し、13年には1990億ドル(約32兆2000億円)に達した。ガス輸出で資金が流入する中、同氏は利益の一部を投資に回し始め、05年にカタール投資庁(QIA)を設立。同氏の側近で、HBJとして知られるハマド・ビン・ジャシム・ビン・ジャベル・サーニ氏の監督下で、QIAは炭化水素産業以外の分野を中心に国内外へ投資した。

QIAは世界金融危機前後の市場混乱に乗じ、英銀バークレイズや独自動車メーカーのフォルクスワーゲン(VW)など世界有数の企業の株式を取得した。10年にはロンドンの象徴的な百貨店ハロッズを買収した。

カタール国内では、同氏が承認した建設事業を契機に、首都ドーハは小さな町から、近隣のドバイより規模は小さいものの、きらびやかな国際都市へと変貌した。同氏と妻のモーザ・ビント・ナーセル・アル・ミスナド妃は、ジョージタウン大学やテキサスA&M大学、カーネギーメロン大学を含む米大学に対し、カタール国内でのキャンパス開設を促した。10年には、カタールが中東諸国で初めて22年サッカー・ワールドカップ(W杯)の開催権を獲得した。

96年には、メディア機関のアルジャジーラを支援するための融資を決めた。同氏の最も重大な決断の一つだったとみられる。ドーハを拠点とするアルジャジーラは、近隣諸国の内政に批判的な内容を扱う初期のアラビア語番組として、発足直後から地域的、国際的な論争を引き起こした。ただ、自国の問題についての報道は限られている。

外交

ハマド氏の地政学上の政策は、時に同盟国とのあつれきを生んだ。米国に地域最大の米軍基地の設置を認める一方、イランとは友好関係を維持した。09年のガザ戦争まではイスラエルによる貿易事務所の運営を認める一方、パレスチナのイスラム組織ハマスとも緊密な関係を保った。

11年にアラブ世界各地で蜂起が広がると、抗議運動を支援した。カタールはシリアでの蜂起を支援し、リビアでは最高権力者、カダフィ大佐の部隊と戦うため戦闘機を派遣。エジプトでは、11年のムバラク大統領退陣後、ムハンマド・モルシ氏が率いた同国初のイスラム系政権を支えるため、80億ドルを融資した。

カタールの影響力拡大は必ずしも歓迎されず、近隣地域での分断を深める一因となった。リビアとエジプトでは、同氏が両国のイスラム主義運動を支援したことに反発した抗議者がカタール国旗を燃やした。エジプト軍は同氏の退位からわずか数日後にモルシ氏を追放。シリアでは、過激派組織「イスラム国(IS)」とアサド大統領率いるシリア軍が勢力を固める中、反体制派を支援するカタールの取り組みは行き詰まった。

同氏によるこうした運動への支援は、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、エジプトとの外交摩擦につながり、息子タミム氏の治世にも影を落とす問題となった。14年に起きた対立は8カ月後に解消したが、4カ国は17年にカタールとの貿易・外交関係を3年以上にわたり停止した。

原題:Sheikh Hamad, Leader Who Made Qatar a Rich Nation, Dies (1)(抜粋)

--取材協力:Robert Tuttle.

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