制度・社会環境に関する要因
次に、生命保険加入の基礎的要因のうち、制度や社会環境に関する要因について整理する。
先行研究では、加入者個人の属性や商品の特性に加え、制度的枠組みや文化的・社会的背景、マクロ経済環境といった要因が、個人の属性や商品特性と相互に作用しながら、生命保険加入行動に影響を与えることが指摘されてきた。
制度的枠組み
まず、制度的枠組みとして、公的保障制度の充実度は、民間生命保険需要に影響を与える重要な要因として広く議論されている。
一般に、公的年金や医療保障が充実している国ほど、民間生命保険に対する需要は相対的に低くなる傾向があることが報告されている(Beck & Webb, 2003; Trinh et al., 2023)。
一方、Trinh et al. (2023) では、先行研究の議論として、公的保障給付が健康状態の改善や家計の資産・所得水準の上昇を通じて、結果として生命保険への支出が増加する可能性があることも紹介されている。
また、保険市場における規制や監督体制も、生命保険加入行動に影響を与える要因である。
国際的な研究や先行研究のレビューによれば、保険契約者保護や保険会社の健全性を確保するための法制度・監督体制が整備されている市場ほど、消費者の保険に対する信頼が高まり、安心して保険に加入しやすい環境が形成されることが示唆されている(Beck and Webb, 2003; Outreville, 2013)。
さらに、市場全体の情報開示水準や透明性といった要因も、生命保険需要と関連することが報告されている。
先行研究では、情報の透明性が高い国ほど生命保険需要が高い傾向が確認されている。
市場の透明性は情報の非対称性を緩和し、加入行動を促進する可能性がある(Dong, 2014)。
文化的・社会的背景
文化的・社会的要因としては、社会的信頼が保険加入行動に影響を与えることが指摘されている。
保険は将来の不確実な事象に備える契約であるため、制度や市場全体に対する信頼が低い環境では、保険参加が進みにくい可能性がある。
実証研究においても、他者への一般的な信頼が将来契約型の金融商品への参加と密接に関連していることが示されており、社会的信頼が保険需要を支える背景要因の一つであることが示唆されている(Guiso et al., 2008)。
また、近年の実証分析では、社会的信頼と医療保険への加入との関係が確認されている(Sadigov, 2024)。
これらの研究は主として生命保険以外の保険を対象としているものの、保険が将来の給付を約束する契約であるという点においては共通しており、社会的信頼が加入行動に影響を与えるという示唆は、生命保険分野にも一定程度当てはまる可能性がある。
また、宗教的要因については、宗教的信念が人々のリスク回避行動に影響し、それを通じて生命保険需要にも作用することが指摘されている。
実証分析では、イスラム教徒人口の比率が高い国ほど生命保険消費が低い傾向が確認されており、イスラム教の宗教的背景が生命保険加入に抑制的に作用する可能性が示されている(Trinh et al., 2023)。
また、行動意図に影響を与える要因として、周囲の人々や所属集団からの期待や評価に対する認知、いわゆる主観的規範(subjective norm)の重要性も指摘されている。
主観的規範は、計画行動理論に基づく消費者行動研究において、生命保険の加入意向に影響を与える要因の一つとして位置づけられており、個人が生命保険に加入することについて、家族や友人などの重要な他者からどのような行動が期待されていると認識しているかを指す。
近年では、一般の生命保険を対象とした実証研究においても、家族や周囲の人々の意見や期待といった主観的規範が、加入意向に影響を及ぼすことが報告されている(Hoo et al., 2024;Regala, 2025)。
マクロ経済環境
マクロ経済環境としては、金融機関や金融市場の発展が生命保険加入に正の影響を与えることが、国際的な実証研究において一貫して報告されている。
金融システムが発展している国ほど、保険商品の供給体制や情報提供が整備され、消費者が保険にアクセスしやすい環境が形成されるため、生命保険需要が高まりやすいと考えられる(Beck and Webb, 2003; Outreville, 2013)。
一方、都市化については、都市化に伴う核家族化や保険商品へのアクセスの向上が生命保険加入に正の影響を与えることが予想されるものの、実証研究では、正の影響を与えるケースと負の影響を与えるケースの双方が報告されており、その影響は国や制度環境によって異なると考えられる(Outreville, 2013; Zietz, 2003)。
また、インフレと生命保険加入の関係についても、正の影響と負の影響の両方が報告されている。
負の影響が報告される理由としては、インフレにより保険の経済的価値の不確実性が高まる影響が指摘される一方、正の影響が報告される理由としては、インフレ期に経済成長が同時に進む場合には、保険需要が必ずしも抑制されないことが挙げられる(Akhter & Khan, 2017)。