グレース・ウェールズ・ボナー氏は、2019年のファッション雑誌「System」のインタビューで、メンズウエアデザイナーのラフ・シモンズ氏を「実に妥協しない」と称賛し、「この時代において、それは本当に美しいことだ」と語っていた。

ウェールズ・ボナー氏が大事にする「妥協しない」姿勢は、1837年創業のフランスの老舗ラグジュアリーメゾン、エルメスの価値観とも響き合う。そのエルメスが10月、ウェールズ・ボナー氏(35)をメンズのプレタポルテ(既製服)部門の新クリエイティブ・ディレクターに任命した。主要な欧州高級ブランドでデザインを率いる唯一の黒人女性となった。

同氏は、洗練された仕立てと幅広い文化研究を独自の手法で融合させることで知られ、数々の受賞歴を有するデザイナーだ。

パリ政治学院(シアンス・ポ)でファッションとラグジュアリーを教えるセルジュ・カレイラ客員教授は、「職人技と品質に最大限の注意を払うことを含め、西洋ラグジュアリーが求める厳格な基準と、アフリカやインド、カリブ海など多様な文化的影響を融合させる創造的な才能がある」とウェールズ・ボナー氏を評価。「彼女の美の概念は、堅苦しさとは反対に非常に現代的で独自性があり、細部への強いこだわりが特徴だ」と指摘した。

グレース・ウェールズ・ボナー氏

エルメスによると、ウェールズ・ボナー氏は37年にわたって同役職を務めたヴェロニク・ニシャニアン氏(71)の後任となる。ニシャニアン氏は来年1月のメンズウエアのショーを最後に退任する予定だ。

ウェールズ・ボナー氏の起用は、世界最大の高級ブランド各社が進める人材刷新の流れの一環でもある。ここ1年でセリーヌやクリスチャン・ディオール・クチュール、シャネル、グッチ、ロエベ、バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタ、フェンディなど、数々のブランドで新デザイナーが就任しており、世代交代の様相を呈している。

一方で、エルメスにとっては今回の人事は新たな試みでもある。他のファッションブランドがスターデザイナーを起用するのに対し、エルメスは長年にわたり社内の芸術文化を重視しており、クリエイティブ・ディレクターの名前がブランドより目立つことは極めてまれだった。

グレース・ウェールズ・ボナー氏はアディダスのレトロスニーカー復刻モデル「サンバ」の成功の立役者の一人でもある

エルメスの創業家6代目でアーティスティック・ディレクターを務めるピエール・アレクシィ・デュマ氏は先月のプレスリリースで、ウェールズ・ボナー氏の「コンテンポラリーファッションや工芸、文化へのアプローチは、当ブランドのメンズスタイルの形成に貢献するだろう」とコメントした。

ウェールズ・ボナー氏は英国人の母親とジャマイカ人の父親の間にロンドンで生まれた。2014年にロンドンの名門セントラル・セントマーチンズを卒業後、すぐに自身のメンズブランド「ウェールズ・ボナー」を立ち上げ、注目を集めた。

15年にはブリティッシュ・ファッション・アワードのメンズウエア部門新人デザイナー賞、16年にはLVMHヤング・デザイナー賞を受賞した。19年には英国ファッション評議会(BFC)/ヴォーグ・デザイナー・ファッション・ファンドの受賞者となり、同年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで、アフリカ系カリブ文化の儀式や宗教的慣習を探求する展覧会をキュレーションした。F1ドライバーのルイス・ハミルトン氏に、毎年ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されるファッションの祭典、メットガラでの衣装を提供したこともある。

ウェールズ・ボナー氏はまた、アディダスのレトロスニーカー復刻モデル「サンバ」の成功の立役者の一人でもある。20年11月に発表した同社とのコレクションでは、「1970年代のロンドンにおけるカリブ系若者の視点から見たサブカルチャー」を着想源にした手編みストライプや長めのタンを配したブラックサンバが注目を集めた。当初は180ドルで販売された同モデルは、今やリセールプラットフォーム「StockX」で約1100ドル(約17万円)で取引されている。

23年の初めに始まったサンバブームは、スタッズやアニマル柄、メタリックなどを取り入れたバリエーションの成功で引き続きアディダスのヒット商品となっている。

アディダスのビョルン・グルデン最高経営責任者(CEO)は昨年、ウェールズ・ボナー氏について「現在、ラグジュアリー分野で最も人気のあるデザイナーかもしれない」と語り、「誰もが同氏と仕事することを望んでいる」と指摘した。

アディダスとの今後の関係や、エルメスでの職務開始後もウェールズ・ボナー氏自身のブランドを継続するかは現時点で不明だ。エルメスでの初コレクション発表は27年1月の予定。通常6月のパリメンズウィークで披露されるコレクションは、デザイナー交代期間中、スタジオが監修する。

ウェールズ・ボナー氏はエルメスで唯一の女性デザイナーではない。ウィメンズ既製服部門はナデージュ・ヴァネ氏が10年余り担当している。エルメスの主力部門は依然として皮革製品と馬具だが、既製服部門は近年大きな成功を収めている。

原題:Hermès’ New Designer Brings Indie Spirit to Tradition-Rich Brand(抜粋)

--取材協力:Gina Turner.

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