(ブルームバーグ):米カリフォルニア州ナパの高級リゾート、シルバラード・リゾートで昨年8月に開かれた社内イベントに登壇したドミニク・ペレラ氏は、およそ100人の社員を前にしたスピーチで、怒号が飛ぶことを覚悟していた。
ペレラ氏は数日前にスタートアップ企業、キャラクターAIの暫定最高経営責任者(CEO)に就任したばかりだった。同社の共同創業者であり著名な人工知能(AI)研究者でもあるノーム・シャジール氏とダニエル・デ・フレイタス氏が、検索大手グーグルとの27億ドル(約4000億円)規模のライセンス契約の一環として同社を去ったことに伴う人事だった。
社内で行われた遠慮のない質疑応答では、ペレラ氏を法務顧問としか認識していなかった社員たちから、キャラクターAIの将来について厳しい質問が相次いだ。「何を続けて、何をやめるのか。資源の配分はどう変わるのか」といった声が上がったという。「創業者が去るというのは大きな変化だ」とペレラ氏は振り返る。
それでもペレラ氏は、キャラクターAIについて、今回のような「リバース・アクハイヤー(reverse acquihire)」と呼ばれる新しい形の取引を経た企業の中では、「他社よりもはるかに良い状態で残された」と話す。

キャラクターAIは、現在のAIブームの中でリバース・アクハイヤーを経た少なくとも6社のスタートアップの1社だ。この言葉は、スタートアップを買収して優秀な人材を確保する「アクハイヤー(acquihire)」に由来する。リバース・アクハイヤーでは、大手テクノロジー企業がスタートアップの主要人材を引き抜き、技術をライセンス契約で取得するものの企業自体の買収は行わない。残されたチームは、残った事業を継続していくしかない。
大手テクノロジー企業にとって、こうした手法は熾烈(しれつ)なAI人材争奪戦における競争優位を得る手段の一つだ。また、従来型の買収と同様のメリットを得ながら、買収に伴う政府の承認手続きを回避できるという利点もある。近年、規制当局は大手企業が将来の競合相手となり得る新興企業を買収して競争を封じ込めることへの懸念を強めており、承認プロセスは一層厳しくなっている。
ベンチャーキャピタリストで6月にメタ・プラットフォームズにリバース・アクハイヤーされたスタートアップ、スケールAIの取締役も務めるマイク・ボルピ氏は「現在の規制環境下では、こうした取引が今後さらに増えるとみている」と語った。
リバース・アクハイヤーは、スタートアップから中核的なリーダーを奪うだけでなく、他の機会も制限する。従業員や投資家に、通常の買収や新規株式公開(IPO)のような大きな経済的恩恵はもたらさないことが多い。ボルピ氏は、創業者、従業員、出資者の間で「インセンティブの不一致を生む可能性がある」と指摘した。
ベイン・キャピタル・ベンチャーズのパートナー、サーニャ・オジャ氏は、リバース・アクハイヤーの増加はスタートアップの採用活動すら難しくしかねないと警鐘を鳴らす。「大手にいつ骨抜きにされるか分からないなら、最初からオープンAIやアンスロピック、あるいはビッグテックに行った方がましだ、というのが当たり前になってしまうのは避けたい」と話す。
創業者と従業員が共通の目標に向かい、成功の果実を分かち合うというシリコンバレー的な暗黙の約束、いわば社会契約を損なうものだとの批判もある。
長年ベンチャー投資に関わってきたジョン・サコダ氏は「いずれかの時点で、買収側と創業者が誰を連れて行くか、誰が今後の旅に不可欠かを決めることになり、それ以外の人たちは幽霊船に取り残される」と語る。リバース・アクハイヤーに批判的な同氏は、従業員は「自分がノアの方舟(はこぶね)に乗っているのか、それともタイタニックにいるのか、見極めなければならない」と述べた。
発端
リバース・アクハイヤーのトレンドが本格化したのは2024年3月、マイクロソフトがチャットボット開発のインフレクションAIの創業者とその大半の社員を引き抜き、6億2000万ドル規模のライセンス契約を結んだのが発端だった。この出来事はシリコンバレーに衝撃を与えた。
従来のアクハイヤーは、事業拡大が見込めなくなったスタートアップにとっての軟着陸手段と見なされていたが、インフレクションは有望なAI新興企業として期待されていた。わずか1年足らず前には13億ドルを調達し、企業評価額は40億ドルに達していた。
だが舞台裏では、共同創業者でCEOだったムスタファ・スレイマン氏が、独立路線を続けるには資金調達にほとんどの時間を割かざるを得ず、それでも大手テック企業との競争の中では生き残れない可能性があると判断していたという。ジャーナリストのゲイリー・リブリン氏が著書「AI Valley」で明かしている。
スレイマン氏は昨年春、マイクロソフトの提案を受け入れ、同社に加わる道を選んだ。

事業モデル転換
インフレクションはスレイマン氏の後任として、元モジラ幹部のショーン・ホワイト氏をCEOに迎えた。ホワイト氏のリーダーシップの下で、同社はチャットボット「Pi」について、ユーザーとして一般消費者を想定するのをやめ、インテルなど企業顧客向けサービスへと軸足を移した。
スレイマン氏が去ってから1年以上が経過したが、同社はなお再構築の途上にあるとホワイト氏は語った。
メタとの契約後も約1400人の従業員の大半を維持していたスケールAIもまた、事業の方向転換を進めている。同社はもともと、大規模言語モデル(LLM)開発企業向けにデータラベリング業務を提供していたが、主要顧客だったグーグルとオープンAIは、メタと競合関係にあることを理由に同社への委託を停止した。
このため、スケールはデータラベリング部門で人員削減を実施した。企業向けや政府機関向けのカスタムAIアプリケーションに事業の軸足を移す方針だ。
インフレクションおよびスケールと同様に、キャラクターAIも事業モデルの転換を余儀なくされている。同社はコストのかかる自社LLMの開発から手を引き、現在はAIキャラクターの開発に専念する体制を取っている。
事情に詳しい複数の関係者によると、24年の社内イベント以降、同社は従業員の不満を和らげるため、権利が発生していない株式報酬に相当する額を現金で毎月支給する制度を導入したという。リバース・アクハイヤーから2年間継続される予定で、原資にはグーグルとのライセンス契約で得た資金が充てられると、別の関係者は話している。
キャラクターAIは今後再び資金調達を行う計画だと、6月に正式にCEOに就任した元メタ副社長のカランディープ・アナンド氏は述べている。ペレラ氏は現在も法務責任者として同社に残っている。

運命はまちまち
AIによるコーディング支援を手がけるウィンドサーフは、グーグルによるリバース・アクハイヤーの対象となったが、別のAIコーディング企業コグニションがウィンドサーフの残された資産を買収することで合意したとブルームバーグが報じている。
一方、ロボティクス研究を手がけるコバリアントは昨年、アマゾン・ドット・コムとの3億8000万ドルのライセンス契約の一環で、創業メンバー3人と従業員の4分の1を失った。
米紙ワシントン・ポストが引用した内部告発文書によれば、CEOとなったテッド・スティンソン氏は、この契約が同社のビジネスに制約を与え、成長を阻害したと不満を示していた。スティンソン氏は広報担当者を通じてコメントを控えた。
エンタープライズ向けAIスタートアップのアデプトでは、アマゾンによるリバース・アクハイヤーの後、エンジニアリング部門責任者だったザック・ブロック氏がCEOに就任したが、1年もたたないうちにオープンAIに転職した。現在、リンクトイン上でアデプトを勤務先として挙げている人物はわずか4人しかおらず、いずれも取材への回答はなかった。
現時点で、アデプトを率いている人物がいるとして、それが誰なのか不明だ。
(原文は「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」誌に掲載)
原題:AI Founders Jump Ship for Big Tech, Leaving Colleagues Stranded (Correct)(抜粋)
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