「春闘賃上げ率」は実勢賃金の指標として限界か? 全数調査との乖離と鵜呑みにするリスク
一つ指摘しておきたいのは、「春闘賃上げ率」の数字の実勢賃金に対する説明力は低下しているのではないか、という点である。
1年前に示された24年度の連合調査における春闘賃上げ率のベースアップ率は3.56%であった。これを受けて、市場関係者の中でも24年度の所定内給与は+3%台半ば程度に達する、とみる向きが多かったように思う。しかし、毎月勤労統計の数字は+3%弱程度にとどまっている。
筆者は、先の健保の統計などから実勢賃金はもう1ノッチ低いのではないかと疑っているが、毎勤の数字との比較であっても春闘賃上げ率調査のベースアップ率との間には乖離が生じている状況である。
春闘賃上げ率調査が平均賃金と乖離する背景は、昨年レポート「「5%賃上げ」の期待外れリスクを考える〜春闘賃上げ率とはどういう数字なのか?~」にまとめている。
春闘賃上げ率調査の数字が、「組合のある企業のみを対象としている」「組合員の賃金を対象としており、非組合員のミドルシニア層の動向をカバーできていない」(賃金水準の低い若年層賃金がより高く上がるような局面では、組合員を対象とする春闘賃上げ率は全体平均に比べて高く出やすいことになる)などの点から差異が発生する。
加えて、春闘賃上げ率の数字自体は各社の報告をベースにしており、統計調査と異なりその数字の厳密性が高いわけではない。
足元のように労働者側も経営者側(人材確保、労働者側へのアピール)も政府側も「高い賃上げ率」を望んでいる現況において、数字を高く見せたい、という動機から起こる上方バイアスが生じてもおかしくはない。
日銀はかねてから春闘賃上げ率の数字を重視している。
春闘賃上げ率は賃金上昇率を予測するうえで重要な変数であることは間違いない。
その数字が相場観を形成し、調査対象外の賃上げ率にも波及するという点でも賃金の大きな趨勢を決めるものだ。
しかし、数字をそのまま鵜呑みにして「春闘賃上げ調査のベア率と同等にフルタイム基本給が伸びる」と判断することにはリスクも多そうだ。
「毎勤急減速」の真相は過大評価か? 4月賃金統計が試すもう一つの仮説
冒頭の「2・3月急減速の謎」に話を戻そう。
この謎に対する一つの仮説が「うるう年仮説」(新家(2025)「3月の労働時間はなぜ減ったのか~3月分にもうるう年要因の裏の影響が?~」)だ。
2月、3月の統計に昨年のうるう年の裏の影響が出ており、労働時間や給与に影響が出ているとするものだ。
これが正しければ、4月の給与の伸び率は急減速以前の水準まで回復することが期待される。
これまでの議論を踏まえてここにもう一つ、4月の賃金が戻らなかった場合に備えた仮説を加えたい。
それは「そもそも3%も伸びていなかった仮説」である。
従来、毎月勤労統計が示してきた3%弱程度の所定内給与の伸びは標本誤差の影響で過大になっていた、とするものだ。
急減速の要因を25年初の調査サンプル入れ替えの影響に求める。
先の健保統計の数字である2%台半ばが真の値なのだとすれば、急減速前の3%弱では実勢に対して過大評価、急減速後の2%は実勢に対して過小評価というイメージになる。2025年に入って急減速したというよりは、実勢賃金がそもそも3%より低かった、という話だ。
毎月勤労統計は年初に30人以上の事業所の調査サンプルの入れ替えが行われる関係で、年が変わる際に水準感が変わることがよくある。
厚生労働省もこの点から、25年1月のサンプル入れ替えによる数値への影響について分析資料を公表している。
分析対象は本系列のみであり、市場関係者の注目する共通事業所ベースの値については示されていない。
サンプル入れ替えに伴って共通事業所ベースの値を計算する際の集計対象となる事業所も年初に変わっているはずなので、その影響で水準感に影響が生じていてもおかしくはない。
筆者の仮説の弱みは急減速が「2月から」生じている理由を綺麗に説明できないことだ。
サンプル替えの影響なら、素直に考えるとそれが行われた「1月」から生じると思われる。
一方で、うるう年仮説も労働時間が減る理由としては腹に落ちるのだが、給与が減った理由としては引っ掛かる部分もある。
一般労働者の大半はフルタイム勤務の正社員であるとみられる。
固定の月給制の人が多いと思われ、うるう年で去年の給与が高かった、という点にやや違和感は残る。
結局、謎は謎のままなのだが、いずれにせよ4月の賃金統計、所定内給与がどうなるかは注目である(どちらの仮説も正しいのかもしれない)。
4月に伸び率が戻らないようであれば、かねてから「3%の名目賃金上昇、2%の物価上昇」の状態を望ましい姿としていた日銀もその解釈を求められよう。
(※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 経済調査部 主席エコノミスト 星野卓也)