中央銀行が従属する世界

トランプ大統領には、中央銀行の歴史に対する認識が乏しいようだ。政府の要請に対して安易に中央銀行が従属すると何が起こるのか。例えば、FRBがトランプ関税のリスクに対して、利下げを繰り返すと、米景気は浮揚するかもしれないが、インフレは加速するだろう。トランプ関税をかけられた輸入企業は、値上げが容易になるが、その代わりに物価は上昇する。FRBには、常に金融緩和が大統領から求められて、インフレになっても利上げが許されなくなる。そうした失敗の歴史的教訓から、インフレ・コントロールは中央銀行に一任しておく方が好ましいということになっている。

実は、ミラン論文のシナリオ自体が物価上昇リスクや長期金利上昇リスクへの配慮がかけている印象が強い。経済分野で奇策を論じる人たちには共通してインフレ・リスクへの配慮が乏しいと思える。中央銀行が政治的意向を怖がるような組織になると、どうしてもインフレ予防が後手に回る。それが続くと、インフレ予想がコントロールできなくなる。

ここまで来ると、ショック療法を採るしかなくなる。過去のオイルショックの時の苦い経験が頭に浮かぶ。ポール・ボルカー元FRB議長は、1979年に強烈な利上げを実行してインフレ期待を落ち着かせた。経済学の教科書にも登場するショック療法である。金融市場では、これを歴史的教訓として知っているから、トランプ大統領のFRB批判はドル売り要因という反応になるのだろう。

日本でも、旧日銀法は1942年に制定された戦時立法だった。戦後の高インフレも、中央銀行のコントロールが不全だったことが一因だ。黒田緩和も、アベノミクスに深く係わって、現在に続くインフレの芽を作ってしまったと筆者は考えている。通貨が下落すると、それはいずれ輸入インフレにつながっていくのだ。

トランプ大統領のモデル

ドル安という危険な兆候に対して、すぐにトランプ関税を中断・修正すれば、米国経済はまだ元に戻れる段階だろう。しかし、その可能性はあまり期待できない。トランプ大統領の関税政策に対する思い入れが強いからだ。

過去、1930年に共和党のフーバー大統領(当時)は、関税政策によって国内産業を保護しようとした。スムート・ホーリー法による保護主義政策が採られた。欧州各国は対抗措置として報復関税を発動し、世界経済はブロック化して世界恐慌にひた走った。トランプ大統領は、そのフーバー大統領の再現をしようとしている。現在でも、多くの識者が「なぜ、トランプ大統領はフーバー大統領の失敗に学ばないのか」と言っている。

この保護主義を修正し、大恐慌からの建て直しに力を奮ったのは民主党のルーズベルト大統領だった。奇しくも、その時期にFRB議長を解任できない判例(1935年)が下された。現在の自由貿易体制は、フーバー大統領の時期のブロック経済化の反省の上に成り立っている。大恐慌の反省によって生まれた経済パラダイムが、現在に至る戦後レジームを形作っている。

これは本当に因縁としか言いようがないが、フーバー大統領の関税政策をモデルにしたトランプ大統領は、戦後の経済成長を支えたレジーム(=自由貿易体制)を破壊しようとしている。筆者には、なぜ今になって90年前の世界観に米国が戻らなくてはいけないのか意味がわからない。それでも現実は、トランプ政権によって、自滅する政策選択が推し進められている。

(※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野英生)