(ブルームバーグ):高校1年生の斉藤凛さんは、メジャーリーガーの大谷翔平選手がかつて着ていた花巻東高等学校(岩手県花巻市)のユニホームに袖を通し、地面に積もった雪を踏みしめながら屋内のバッティング練習場に向かう。斉藤選手が打ったボールは全長20メートルほどの練習場の中を悠々と飛んでいく。
斉藤選手は女子硬式野球部に憧れ、故郷の長野県を離れて花巻東高に入学した。大谷選手や菊池雄星選手などを輩出した同校は、2020年に女子硬式野球部を創設。24年には甲子園で行われた全国高校女子硬式野球選手権大会で準優勝し、各地から女子選手を集める強豪校となっている。
大谷選手も出場するメジャーリーグベースボール(MLB)の日本での開幕戦を控え野球熱が高まる中、女子野球は盛り上がりを見せている。女子野球ワールドカップで日本チームは昨年、7大会連続で優勝。競技人口も増えている。しかし、女子野球は商業化が難しく、報酬を得られる所属先が少ないため、海外に活躍の場を求める選手も現れ始めている。
全日本女子野球連盟(WBFJ)によると、15年から24年の9年間で、女子硬式野球人口は1519人から3083人に倍増。高校のチーム数は19から65と3倍強に増えた。日本野球機構(NPB)によると野球競技人口(軟式も含む)が同期間に約3割減少する中、女子野球では中学校、高校のチームやクラブチームの新設が進んでいる。

イチロー氏も支援
1月に日本人初となる米国野球殿堂入りを果たしたイチロー氏は、21年から女子高校野球の選抜チームとアマチュアチームとの強化試合を開催。24年に行われた試合には、元メジャーリーガーの松坂大輔氏や松井秀喜氏も参戦し、テレビ放送された。
プロ野球チームによる女子野球部門設立も相次いでいる。埼玉西武ライオンズが20年に公認の女子チームを発足させたほか、21年に阪神タイガース、23年には読売ジャイアンツ(巨人軍)が女子チームの活動を始めた。
イチロー氏主催の試合にも参加した佐々木秋羽選手は、3月に花巻東高を卒業し読売ジャイアンツ女子チームに入団した。4月からは筑波大学でスポーツ選手の動作解析などを学びながら、ジャイアンツでの活動と両立させる。

少子高齢化などを背景に野球人口の減少が続くと予想される中、選手が活躍できる場の整備は野球全体の存続に向け喫緊の課題だが、女子野球の商業化には課題が多い。
サプリメントの開発などを手がけるわかさ生活(京都市下京区)は、09年に女子プロ野球リーグを創設した。同社の⻆谷建耀知代表取締役社長の著書「女子プロ野球クライシス」によると、10年間で100億円の損失を出した。同リーグは経営難などを背景に21年に無期限の活動休止を決定。それ以来、高校卒業後の選手の受け皿は乏しく、野球のみで生計を立てられる選手は一握りだ。
待遇格差
国内でプロへの道が絶たれた一部のトップ選手は、海外に目を向け始めている。わかさ生活のプロリーグで活動経験のある里綾実投手は、4月に埼玉西武ライオンズ・レディースからカナダのセミプロリーグであるインターカウンティー・ベースボール・リーグ(IBL)のトロント・メープルリーフスに移籍する。時速129キロメートルの投球で世界一の女性投手との呼び声が高い里選手は、IBL初の女性選手としてマウンドに立つ予定だ。
「自分が男だったら楽なのにという気持ちになることがよくあった。性別の壁が悔しい」。里選手は、プロ経験のある男性指導者から、「男性だったら億を稼ぐ選手になっただろう」と言われたことがあると振り返る。
待遇の男女格差は、佐々木選手と兄の麟太郎選手の間でも鮮明だ。麟太郎選手は花巻東高を卒業後、全額支給される奨学金を受けて米スタンフォード大学に進学し、メジャー入りが期待されている。
一方、佐々木選手が所属する読売ジャイアンツ女子チームはクラブチームであるため、選手としての活動に給与は発生しない。計26人の選手のうち14人は球団職員として事務作業や球団の野球教室での指導を担当して給与が支払われており、佐々木選手を含む学生選手は無給で活動している。阪神タイガースも同様に女子はクラブチームという位置付けで選手の給与は発生しない。
「男子はプロ野球選手になれば、お金の面でも将来が安定するが、 女子は将来がまだ見えない 」と佐々木選手は話し、野球選手引退後の就職も考慮して大学進学を決断したと語る。

米プロリーグ発足目指す
米国では、女子野球の商業化に向け、トロント・メイプルリーフスのオーナーで実業家のキース・スタイン氏と元MLBコーチのジャスティーン・シーガル氏が共同で26年の米女子プロ野球リーグの発足に向け動いている。スタイン氏は、100万ドル(約1億4700万円)を個人的に投資する予定で、資金援助やチームの保有権を巡ってMLBへの投資家やプライベートエクイティーの投資家と交渉中だとブルームバーグに語った。
スタイン氏らは、選手たちに1シーズン当たり1人約8300ドルの給与を支給することを目標とする。MLBの平均年俸470万ドルを大幅に下回るものの、女子選手が野球で生計を立てる道が開かれる可能性がある。スタイン氏は、24年に米女子プロバスケットボールリーグ(WNBA)がアマゾンなどと11年間の放映権契約を結んだことを成功例に挙げ、女子野球の将来的な商業化に期待を寄せる。新たに設立する女子野球プロリーグの放映権には、これまでに少なくとも16社が関心を示していると話した。
デロイトスポーツビジネスグループはリポートで、世界でトップレベルの女性アスリートが生み出す収入は、24年に計10億ドルを超えると推計。収入の半分以上は北米からで、企業のスポンサーシップや商品販売などが伸びをけん引するとみている。同リポートによると、多様性を重視する企業による女性スポーツチームやアスリートへの投資が増加している。
商業化への障壁
WBFJの山田博子会長によると、野球は硬球を使うため女性には危険と見なされ、女子野球に対しては伝統的に否定的なイメージが持たれていた。
デロイトトーマツのスポーツビジネスグループの太田和彦マネジャーは、安全性を考慮してソフトボールが推奨されてきた流れが、女子野球の商業化を妨げていると説明。「男子野球は成熟している産業である一方、女子野球はまだスタートアップの段階」と話す。

国内のプロ野球チームは企業が事業の一つとして運営しており、チーム自体が独立した企業として機能するMLBとは運営構造が異なる。米オハイオ大学でジェンダーとスポーツについて研究する福澤秋后氏は、日本国内のチームは野球以外からの収益によって財務的に安定しており、女子チームへの投資リスクは軽減されるはずだと話した。
オハイオ大の女子野球チームのコーチでもある福澤氏は、「投資の格差はビジネスというより性差別によるもの。女子選手の運動能力が社会に評価されていない」と指摘。日本でも米国でも、「投資家が女子野球がビジネスとして価値があることを確信するまでは、真の変化は起こらないだろう」と話した。
埼玉西武ライオンズ・レディースの里選手は、性差別が女子野球選手に対する視線にも影響していると語る。容姿に固執して「こんなかわいい子が野球がうまい、というような報道や売り方」があると指摘。「それでは女子野球の本当の魅力が伝わらないので、変えていきたい」と話す。
それでもプロ野球球団による女子チームの設立は若手女子野球選手たちに希望を与えている。佐々木選手の場合、「ジャイアンツ」という知名度の高さから入団後に反響があったという。プロ野球経験者から指導を受け、プロ選手が使用する球場で練習できるため「プロ野球選手になったような気分」になれると話す。
高校卒業後も野球を続けたい人はたくさんいるので、「大学やクラブチームなどで野球ができる選択肢をもっと増やしていってほしい」と望んでいる。
--取材協力:Jui Chakravorty.もっと読むにはこちら bloomberg.co.jp
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