袖のない外套は何を語っているのでしょうか。富山市では、旧ソ連によるシベリヤ抑留など、戦中戦後をモノや資料でたどる企画展が開かれています。

ジオラマで再現されたシベリアの収容所での抑留者たちの生活。負傷した兵士が身に着けていた千人針には、血痕がそのまま残されています。

富山市民プラザでは、戦争に関する資料を展示する東京の3つの施設が連携した企画展が開かれています。

このうち「帰還者たちの記憶ミュージアム」は、終戦後、旧ソ連軍に強制連行されてシベリアなどで過酷な労働を強いられた日本人の体験を伝えています。

帰還者たちの記憶ミュージアム 加藤隆さん
「ソ連の最高指導者であったスターリンが、戦争が終わった後に日本人を捕虜として50万人つかまえて、強制収容して働かせなさいという命令書ですね」

袖のない、旧日本陸軍の外套(がいとう)も。

帰還者たちの記憶ミュージアム 加藤隆さん
「空腹に耐えかねて、地元の人の黒パンを交換して、この袖がなくなった。シベリアの冬は30℃から40℃という非常に寒い、袖がない状態になると凍傷になる危険がありましたけども、それよりもお腹が空いていた」

森林伐採や鉄道建設などの重労働に従事させられながら、1日の食事は水のようなスープと1切れの黒パンだけ。抑留者の数はおよそ57万5千人と推定されていて、このうちおよそ1割の人が栄養失調や病気などで命を落としたといいます。

帰還者たちの記憶ミュージアム 加藤隆さん「1945年8月15日に戦争が終わってそこからみなさん『はい、幸せです』っていうことになったわけじゃなくて、長くて11年抑留された方いらっしゃいましたので、戦争って終わった後もかなりの影響がある」

今回の企画展では、県出身者が寄贈した数多くの資料も紹介されています。

旧下新川郡の国民学校で教員をしていた浦山義一さん。浦山さんの千人針は、出征する時、女子児童たちからこっそりと贈られたということです。

戦争体験者が年々減っていく中、およそ180点のモノや資料が体験者の苦しみや戦争の悲惨さを伝えています。

この企画展は9月13日までです。