【戦後に初めて「学ぶ楽しさ」】

戦時中は勤労奉仕などでほとんど勉強する機会がありませんでしたが、戦後、稲垣さんは中学校で初めて「学ぶ楽しさ」を知ったといいます。

稲垣よし子さん:
「みんな英語スタートライン同じだから、これはよかったと。ここからならやれると、毎日英語は勉強した。ちゃんとやればできるんだって、英語で自信がついて」


20歳で教職に就いた稲垣さんは、40年間教員として働き、四方小学校と太田小学校で校長も務めました。

そして、今は。

稲垣よし子さん:
「ウーウー、警戒警報発令」「すぐこういう防空頭巾をかぶって」

父の死に負い目を感じ、長年、戦争の記憶を語ることはありませんでしたが、教員を退職してから「語り部」として活動を始めました。

稲垣よし子さん:
「みんな生きとりたかっだだろう。友達もたくさん死にました。大きなったらこんなんしようねって言ってた友達も何人も死んでしまいました」