震災で子どもは半分以下に

2011年3月11日。東日本大震災の津波で女川町は壊滅的な被害を受け、1万人余りいた住民の多くが住む場所を失いました。町の転出者率は2011年から4年連続で宮城県内で最も高くなりました。震災前830人いた小中学生は、この春で315人とおよそ4割にまで減っています。

震災当時小学4年生だった庄子さんも津波で自宅を流され、引っ越し先の石巻市から女川町の小学校に通う生活が続きました。

庄子宙さん:
「通学している最中はどっちを見てもがれきしか映らないみたいな」

そんな日々のなか、中学校に入学すると同時に、放課後は女川向学館に通うようになりました。

庄子宙さん:
「半分家というか公園みたいな。友達と会う場所みたいなところもあるし、塾みたいなところという3つの側面があった。向学館があったことによって女川に引き止めてくれたというか。女川のみんなとの関わりを保ってくれた橋みたいな存在」

震災後の不安の中で多くの人生経験を与えてくれた女川向学館に恩返しがしたいと、庄子さんは去年、スタッフとして戻ってきました。常に意識しているのは、あのとき自分を支えてくれたスタッフの姿です。

庄子宙さん:
「僕は高校生になってからも、ちょくちょく向学館に来ていた。そこですごく明るい対応をしてくれた。僕がさらに人生相談をできたらすごく良いなと思う」

奮闘する庄子さんに先輩スタッフも期待を寄せています。