「生きている価値がないんじゃないかという恐怖感」周りと合わず自己否定感が増大
牧野:宮本亞門さんの高校生時代は、特にそうした風潮がいま以上にあったでしょうね。
宮本:あと僕の中でも忖度というか、周りと合わせなきゃだめなんだと思い過ぎていたことが、自分が生きている価値がないんじゃないかという恐怖感になってしまったんだけど、いま思うと、個性こそ本当は素晴らしいと仕事をするようになってやっと分かってきたんです。大人になって本当に自分の好きなことを考えて、仲間も増えてくるという楽しさは、子どものときはわからなかったですね。
牧野:そのひきこもりの時代はどんなふうに生活なさっていたんですか?
宮本:窓のない四畳半で、内側から鍵をかけることができる、ひきこもりには最適の部屋でした。レコードが10枚ぐらいあって、それを毎日聞いていました。その中の音楽からくるイメージを自分の頭の中で妄想して、興奮したり、泣いたり、そんな1年間でした。特に1枚のレコードを何回も聞くわけなんですけど、聞くたびに音が違って聞こえるんですよね。そして、とにかくこの曲の素晴らしさを人に伝えたいとか、これって仕事にならないのかなって、演出家や映画監督になったらできるかなと思うようになったんです。
牧野:ご両親はそこから引っ張り出そうという動きをなさってたんですか?
宮本:親父からは「お前は絶対に慶應義塾大学に入れ」と赤ちゃんのときからいわれていたので、ダメ息子と僕のことを思っていたのは、事実だと思います。
牧野:そんな中でご自身は抜け出そうという気持ちでいらしたのか?
宮本:抜け出したいんですが、抜け出せなかった。どういうふうにきっかけを掴んでいいかもわからないし、やはり学校が怖いし、ますます自分が変わった人になってしまったんじゃないか、将来はないんじゃないかって勝手に自分でそう思い込んでいましたね。