そこで求めていたのは遺族による「和解」。
日本人や地元の犠牲者など、国籍や立場に関係なくすべての犠牲者の関係者が合同で、慰霊祭を開くことでした。
終戦から78年、ディックさんと親交があった仲間を中心に計画を立て、今年7月、ようやく実現した有志による「和解」の旅。

オーストラリア、イギリス、地元マレーシア、それに日本から訪れた20人ほどが、5日間をかけて、「死の行進」のルートや、犠牲者の追悼施設などをめぐりました。
日本からはボルネオ島の元司令官の遺族や、戦時中の手記を残した上田市出身の上野逸勝さんの義理の息子・光司(こうじ)さんも参加しました。

義父が生還した上野光司さん: 「ボルネオ特有の湿り気のある暑さ。本当に体力の勝負でね。こういうジャングルの中を行軍したとなると並大抵の体力ではできない。精神力できたようなもんだね。想像しても実際こんなもんだということが分からないから、やっぱり現地へ来てみないとこの空気を吸わないと分からない」
かつてのジャングルには道ができ、兵士たちの行く手を阻んだ熱帯の密林は、広大なヤシの畑へと姿を変えました。
多くの犠牲者を出したサンダカンの捕虜収容所跡地は、歴史を伝える公園になっています。
リチャード・モクサムさん: 「これは『死の行進』の6人の生還者たちの写真です。キース・ボッテリル、ディック・ブレイスウェイト、私の父のビル」
出来事があった場所に赴き、直接家族の話を聞くことで、深まっていったお互いの理解。
今回の和解の旅を提唱したディックさんの親族にも、発見がありました。