信更中学校は1944年=昭和24年に、2つの村による県内初の組合立の中学校として開校。
昭和30年代には500人近い生徒が通っていました。

オルゴールを贈った同級生有志の代表=米澤功さんと内山二郎さん。
在学していた昭和33年当時は、3年生だけで172人いました。

「170人いたから、4クラス、学年で、それが3つあった(じゃあすごい賑わいでは?)すごいにぎわいでしたね、昼休みはね、ソフトボールで競争で場所とって、場所確保するために早く昼めし食べて」

校舎のわきにある小高い丘に石の階段が残っています。

「登って行って、左の方にずっと上っていくと、音楽堂があったんです」

校歌にも登場する「音楽堂」。
かつての学校のシンボルは校舎の改築で取り壊され、いまは雑木林に。
階段が当時の面影をしのばせます。
音楽堂も、木造の校舎も残っていませんが、母校は今も、心のよりどころです。

(内山さん)「いや本当に寂しいですね、何かあると思い出すのはこの風景と信更の人々の顔でしたね、その心のよすがが消えて行ってしまうというすごいさみしさがある」

(米澤さん)「ほんとに寂しいの一言ですね、我々も学校終わってから、散り散りばらばらになったが、心のよりどころというか、思いがあって」

オルゴールを贈るために集まった6人の同窓生。
思い出が色あせることはありません。

(小山善一さん)「当時は賑やかだったね、4組あったから都会の学校みたいで」(中村幸子さん)「楽しかったです、とても、お友達もいいお友達がいて、一番思い出に残りますね」

卒業30年周年には校旗を贈りました。
母校への思いが深い分、寂しさが募ります。

(中沢ヒデ子さん)「寂しい寂しい寂しいの一点張り、どうしてこんないいとこがなくなっちゃうのかってね」

(望月一幸さん)「寂しいです、ほんとうにお世話になった育てていただいた学び舎がなくなるということは寂しいことです」