一方で、救急医療態勢の未熟さも突き付けられたといいます。


岩下具美医師:
「消防を通して他の医師の派遣を呼びかけたんですけれども、実際のところ伝わってなかったかもしれないし、伝わっていたとしても、現場に医療を投入するという概念がその当時ありませんでしたので、翌日の朝まで私1人でいたというような状況です」

岩下医師は、その後「救急医療」の専門医の道へ進みます。

2011年には、県内2台目となる信大病院へのドクターヘリの導入に尽力。

御嶽山の噴火災害や台風19号災害では、災害派遣医療チーム「DMAT(ディーマット)」として現場で活動しました。

今は、長野市の長野赤十字病院で、救急センター長を務めます。

岩下具美医師:
「たくさんの患者さん、傷病者いましたけれども、それを目を背けないで対応できたっていうのは、すごく今に生かされてるのかなと」

1人でも多くの命を救うために、何ができるのか。

松本サリン事件と向き合った岩下医師の揺るぎない信念です。

岩下具美医師:
「しょうがないんだって言ってしまえばもうそれ以上はないと思いますので、少しでも変化が起こるように頑張っていければというふうに思います」

2018年、富山大学。

「縮瞳(瞳孔が縮小)しているのは異常なんですよ、救急隊は気づいたんだけど何を意味するのか分からなかったんですね」

事件と向き合った経験を次の世代に繋ぐ医師がいます。

奥寺敬(おくでら・ひろし)医師。

事件当時、信大病院の救急部で搬送された患者の治療にあたりました。


20年にわたって大学で、医学を志す学生にサリン中毒の症状や化学テロの脅威について、伝え続けてきました。

中でも強く訴えてきたのは、「知識は凶器にもなる」ということ。

オウム真理教による一連の事件には、医師も関わっていたからです。

奥寺敬医師:
「あれはどういう事件だったかってことですね。(オウム内で)医者が手を貸した事件でもあるし、しかも危険物質を使ってるわけですよね。医学知識がなきゃ使えないわけですよ」

事件のあと、精神的なつらさも強く感じてきたという奥寺医師。

しかし次第に、ある思いが芽生えてきたといいます。