■ 母の命を救った娘の言葉
龍野 真規子さん
「よく命があったなと思います」
そう語るのは熊本市に住む龍野 真規子(たつの まきこ)さん。更地の前で私たちに1枚の写真を見せてくれました。

そこに写っていたのは大きく崩れた自宅の前でなぜか微笑んだ表情を見せる真規子さんの姿。この写真を撮影したのは娘の由梨加(ゆりか)さん。当時の状況を教えてくれました。
小野 由梨加さん
「あそこまで壊れてしまったら笑うしかなくて…前向きにこれから目の前のこと考えていかなければいけないからって、笑って過ごそうみたいなね」

実は真規子さん、本震の3時間前まで自宅で過ごしていたといいます。九死に一生を得たのは大分で暮らす由梨加さんが再三、避難を促したからでした。
由梨加さん
「(前震の後)避難したかなってふっと夜に電話をかけたんですよ。そしたら、のんきに家で洗濯していて家にいるって言うから『そんなに言うこと聞かないんだったらもう二度と帰らないからね』って」

真規子さん
「避難してって言われなかったなら命がなかったかもしれない」
自宅は築 80年の木造住宅。その年の内に解体され再建を目指していますが、土地の境界線などの問題で進まず、熊本地震から 6年たった今でもユニットハウスで生活しています。

解体前に運び出した家財道具は敷地内に積まれたコンテナボックスに入れられていて今までほとんど開けられることはありませんでした。6年ぶりに開けられたコンテナボックスからは思い出の品々が。
真規子さん
「幼稚園の写真がありました」
懐かしい思い出と辛い地震の記憶。複雑な思いが交差します。

由梨加さん
「いざ見ると劣化していたりするから、6年たったんだなと思うと変なかんじね。まだつい最近のことみたいだもん」
真規子さん
「手つかずでそのままいたからですね。なんか思い出したくなかったのかもれんね。地震をね」
熊本地震から 6年。真規子さんは自宅の再建を待ち望みながらこの場所に留まり、生活を続けています。

真規子さん
「 6年も経つのに家はまだ建っとらん。まだ建てずにこういう(プレハブ)生活をしているんですけど、元気でいられるのが今一番かなと思います」