描き始めてから1か月後…。下書きを廣中さんに見てもらいました。

廣中正樹 さん
「全身、やけどをしとるけんね、ここは完全に身が出て、真っ赤かになっとったけんね」
福本あおい さん
「イメージとしてはけっこう暗めにしようかなと思って…」

描くのは、当時5歳だった廣中さんが全身にやけどをして帰宅した父・一さんから、ペンチを使って「背中のガラスを抜いてくれ」と頼まれたときのことです。
廣中正樹 さん
「1番よくかわいがってくれたお父さんがこんな姿になっとる。自分なりに一生懸命してやったんだけどな。だけど、抜けなんだ…」

一さんは、この2日後に亡くなりました。廣中さんは、証言活動で必ず一さんの話をします。
廣中正樹 さん
「こういう絵を見ると、昔を思い出すな。そういうね、情けない姿を見ながらペンチで抜こうとしたんだよな」
福本さんは、このとき、廣中さんの心に中に残る痛みを感じとったといいます。

福本あおい さん
「自分がその立場に置かれたらと考えたら、やっぱり自分だったら絶対に何もできないし、そんな体験が今、この時代にないと思うので、すごくつらい気持ちになる」
自分の絵で、この戦争の痛みを伝えられるだろうか…。不安を抱えながらも、明るさや色味などの打ち合わせを重ねました。

廣中正樹 さん
「ここらを赤く塗って、光をこのようにして」
福本あおい さん
「(原爆投下)当時の色付きに資料や全く同じシチュエーションはないので、いちから自分で考えていかないといけないというのが、すごく難しい…」