証言台に立ったAの母親「勤務先で洗脳された…」

弁護人の質問に対して母親が語ったAの生い立ちは、次のようなものです。

Aが5歳のとき、Aの両親は離婚しました。

母親はAや子どもたちを育てるため、忙しく働き続けたといいます。

「孤独にすることはなかった」と母親は語りましたが、Aは弁護士に「身近な人から目を向けてもらえなかった」と話したそうです。

母親によれば、Aは小さなころは障害がある友人の面倒をよくみたり、近所のお年寄りに優しくしたりしていたといいます。

スポーツが得意で、中学生のときには卓球の全国大会にも出場しました。

志望校に落ち、通信制の高校に入学後も、しばらくは児童館で小学生に卓球をボランティアで教えるなどしていたAですが、次第にアルバイト中心の生活になっていきます。

【証人尋問 弁護側と母親のやりとり】
弁護人「Aはどこでアルバイトをしていた?」

母親「S工業に行っていました」

弁護人「いつごろから?」

母親「高校1年生の夏すぎごろからです」

弁護人「そのころからAの態度が一変した?」

母親「夜ふかしをしたり、付き合うグループが変わってきたことについて息子と話をしていました」

弁護人「バイク仲間の存在は?」

母親「S工業に入ったころからバイク仲間と遊んでいると息子から聞いていました」

弁護人「Aが実家を出て行ったのはいつ?」

母親「高校2年生の7月。友だちと家賃を折半すると。反対しましたが聞き入れませんでした」

弁護人「S工業でのAに対する暴力は知らなかった?」

母親「知りませんでした」

弁護人「今回の事件はいつ知った?」

母親「警察からの連絡で知りました。息子からは2か月間、着信拒否されていました」

弁護人「面会は?」

母親「これまでに47回…」

弁護人「当初、うその供述をしていた?」

母親「被害者を償う気持ちあるならうそをついてはいけないと言った次の日から、あったことを話し始めました」

弁護人「この事件、どうすれば防げたと思う?」

母親「S工業に入ったことで人格が変わって、顔つきが変わりました。ひもでくくってでも家に連れて帰ればよかったと後悔しています」

弁護人「どう償っていくべき?」

母親「一生をかけてでも償ってほしい。母親としてもできるだけのことをしたい」

続いては、検察官とのやりとりです。