悲劇の中学1年生
広島平和記念資料館では、あの日を体験した方々から、「被爆体験講話」を聴くことができます。
その一人、新井俊一郎さんは、中学1年生のとき、広島市内から学徒動員で訪れていた八本松町の駅で、原爆による凄まじい光と巨大な雲を目撃しました。
働き手のいなくなった農家を手伝っていたのですが、広島に帰省することを許された日が8月6日だったのです。
乗り込んだ列車は瀬野駅で止まってしまい、そこから歩いて煙が立ち昇る広島市内に入りました。
新井さんには、今でも忘れられない光景があるそうです。
全身に火傷をおいながら歩く人たちの足もとから、ふっと現れた二人の幼い姉妹。
顔は風船のようにふくらみ、「しっかりね」と妹を気づかう姉のかすかな声が聞こえてきたのですが・・・
少年だった新井さんは、その姿を見送りながら「生きていてほしい」と祈ることしかできませんでした。
母校があるはずの千田町に辿り着いたものの、あたりは一面の焼け野原。
そこから、どこをどう歩いて自宅に帰ったのか、記憶が全くないほど広島の街は変わり果てていたのです。
建物疎開に動員されていた小学校時代の同級生はほとんど亡くなり・・・
何も知らないまま市内に入って入市被爆(にゅうしひばく)をした、新井さんの体にはその後、原爆の影響だと思われる症状が次々に現れました。
94歳になった新井さんは、『悲劇の中学1年生』と題して、自らの体験を語り伝えています。
大切にしているのは、なぜこのような戦争が起こってしまったのか、原爆投下に至った経緯をしっかりと振り返ること。
若い人たちに話をするとき、新井さんはこんな言葉をかけます。
「これは、生き残った中学1年生の遺言です。
聴きっぱなしにしないで、こんなことがあったことを伝えてください。
これから進む道を決めるのは、あなたたちなのですから」。
新井さんは、「被爆体験講話」を通して、次の世代にバトンを渡しています。



































