迎えた1945年8月6日
2人とは、いまも広島で定期的に会うほど、大の仲良しです。しかしそんな2人にも、原爆の後に見た光景を、語れずにいます。
「お友達とはその話は、何にもしたことはない」
当時、広島市西区にある草津から電車に乗って、中町にあった第一県女に通っていました。

1945年7月に高須の飛行機工場へと学徒動員されましたが、ほとんど仕事がないまま、8月6日を迎えました。
「8月6日の日は、お天気も良いし仕事がないし、『朝10時ごろに泳ぎにいこう』って、水着持って行ってたのよ。歩けばすぐ川がありますでしょ。そしたらあの空襲警報が鳴って、『ちょっと休んでよ』ってなったら、原爆だった」



































