山西さんは当時世界最大級だった潜水艦「伊400」の乗組員でした。
山西さん
「敵の潜水艦がおってね、魚雷で発射するんが目に見えるわけね。もしそれが当たったらね、船は沈んで誰も助かりゃせんじゃろ。でも、なんか、あー、来た来たゆうようなね、あんな感じじゃったね。戦争そのものが大きなリスクを負ったゲームだと、国が大きなゲームをやっとる、その一端を担っとるような感じでね」
終戦を迎え、母親を原爆で亡くしたことを知りました。
山西さん
「戦争から帰った時は原爆の後ですから、70年は草木も生えん、言われたわけですからね。しかし、やっぱり人間の力、すごいじゃないですかね。広島の街は復活したわけですからね」


































