ついに迎えた、8月9日。かつて幾度となく通った相生橋。原爆ドームの前に156号が戻ってきました。電車はビル群を抜けて、被爆3日後に電車が通った区間に。1945年8月9日、広島電鉄の路面電車は己斐から、現在の観音町電停の区間で運転を再開。当時、焼け野原の状態を走り人々を勇気づけた電車が、復興を遂げた広島を走りました。

乗務したのは156号と年の差ほぼ75歳、24歳の若手運転士。この日、初めて156号を運転しました。

広島電鉄 千田営業課 小椋伸哉運転士
「車体が軽いのでノッチ(アクセル)を詰めたときの衝撃が身体に伝わってくるのと、車輪が4つしかないですから、独特のジョイント音(レールとレールの切れ目を通過した際の走行音)がよかったと思います。冥土の土産じゃないですけど、この一生で本当に思い出に残る一瞬だったなと思います」

電車は無事に運行を終え、江波車庫へと帰ってきました。また、長い眠りにつくかもしれないと、最後まで大勢のファンが見送りました。

鉄道ファン
「やっぱ被爆電車なので原爆ドームと一緒に映したかったので、相生橋で撮影しました。被爆80年を記念して走ったと思うので、一緒に絡めて撮れてよかったです」

製造から100年。被爆80年の広島を駆け抜けた156号。今後、街を走る予定は決まっていませんが、引き続き保存される方針だということです。

広島電鉄 千田営業課 小椋伸哉運転士
「生きてはないですけど、被爆の生きた証人としてこれからも末永く走っていってもらいたいと思います」