今回のツアーで平和公園を訪問するにあたって、上原さんは、おりづるタワーのアンバサダーを務める1人の男の子にガイドを依頼しました。

小学5年 佐々木駿 くん
「こんにちは。駿です。10歳で、広島市に住んでいます」
駿くん
「じゃあ、行きましょうか。ぼくについてきてください」
佐々木駿くんは、幼い頃から英会話を習っていて、勉強を兼ねて平和公園でボランティアガイドをしています。
駿くん
「原爆慰霊碑には日本人だけでなく、留学生など外国人も含め、死没者の名簿が納められています。実は、ぼくのひいおばあちゃんも被爆者でした」
駿くんは平和公園の施設を1つひとつ説明しながら案内していきました。「原爆の子の像」の前では、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった 佐々木禎子 さんがモデルであることに触れました。
駿くん
「禎子さんが12歳で亡くなると、同級生たちが募金活動をして、この碑を建てました」
上原さん
「わたしも広島出身で、恥ずかしくなりました。駿くんのガイドとかを聞いて。なんて、1つひとつの施設を大切に受け継いで。それを語っていっている彼の姿勢にすごく感動して」
ガイドを終えた駿くんに、1人の女性が語りかけました。

沖縄出身の日系人
「わたしもね、戦争のとき、5歳だったけど、だいぶ覚えてるの。沖縄で」
駿くん
「沖縄で戦争が?」
アメリカに移住する前、戦時中の沖縄で地上戦を体験したといいます。
沖縄出身の日系人
「B29のね、ウォーンという音とか、艦砲射撃の音とか、そして死体が荷車に横たわっていて、もう恐怖心で大変でした」
記者
「でも今、そのアメリカ…」
沖縄出身の日系人
「そうなんです。今、アメリカ国民になっちゃった」




































